甲斐武田を探検っ!!

       小宮山昌照寺

 

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史跡・関係地名:小宮山昌照寺 小宮山氏菩提寺

住所:山梨県北杜市高根町村山西割

場所のわかりやすさ:△

駐車場:△

説明板:×

売店:×

地図:

 

関係人物:小宮山虎高・小宮山忠房・小宮山忠道・小宮山内膳・山下木工助など

<小宮山氏について少々>浄土真宗西本願寺末である昌照寺は武田氏に仕えた小宮山氏の菩提寺。小宮山氏は信濃出身、または甲斐源氏逸見氏の子孫とも言われています。寺周辺の道はさほど広くなく、道もくねっていますので、ご注意下さい。

武田氏に仕えた小宮山氏といえば、元亀三年(1572)遠江二俣城攻めで馬場美濃守信春と先を争い場内に突入し戦死したとも伝わる譜代家老衆丹後守虎高(昌友とも)、勝頼に仕え側近衆と対立してしまい蟄居という身ながら、武田家滅亡時には勝頼の元に駆けつけ壮絶な討死を遂げた内膳などが有名ですね。そのほかには内膳の弟で天目山から母と兄夫人とともに逃れ後に僧になった昌親、長篠にて討死したとも現甲府市小河原にあった屋敷で死去したとも言われる忠房の跡を継ぎ、この地に住んだ忠道がいます。もちろん小宮山氏一族である、景徳院開山拈橋も忘れてはいけません。

  

昌照寺に到着し、周辺の緑を堪能しつつ本堂の左手にまわりこむと、石段があります。それをのぼると左手に小宮山氏と山下杢之助(山下氏)の墓碑があります。

  

左上写真は小宮山氏墓碑。こちらには「丹後守昌友・土佐守昌照・内膳忠?・四郎左衛門忠次・六郎左衛門忠吉・喜右衛門久次・三郎右衛門忠久」が刻まれています。現在丹後守昌友は丹後守虎高、土佐守昌照は土佐守忠房、四郎左衛門忠次は四郎左衛門忠道とされています。

右上写真は山下杢之助墓碑。彼は武田信勝に仕えました。お墓に刻まれた文字を読んでみると(なんとなくですが)、武田家滅亡時にも信勝とともに田野にて討死ということが記されています。法名「水村院釋山谷居士」と刻まれています。

このHPをご覧になられた「きち様」から「景徳院には水村山谷 秋山杢介と残されています」と教えていただきました!きち様ありがとうございます。<2008/6/23>

<山下?秋山?>山下杢之助(安政)の墓石には「田野で戦死し、景徳院に牌があり・・・村山西割邑に由緒ある」と。しかし、チョット読めなくなっている部分もありました(あと、私には漢文を読む知識ないので・・・すみません)。

イロイロ資料などを調べると、甲陽軍鑑には御歩衆「山下杢助」法名は?、景徳院牌子は「秋山杢介」法名水村山谷、甲州安見記は「秋山杢助」法名?となっています。甲斐国志では「山下木工助」法名は水村山谷・・・と記されています。それらを総合すると、山下が正しく何らかの事情で「秋山」と残されてしまった史料などがあるということでしょうね。

いい機会を得て自分なりに調べて見ましたが、自分で調べモノをして、なにかを掴むことができるのは楽しいですね。

周辺の甲斐武田氏関係地:小宮山氏屋敷光村寺など

参考文献:甲斐国志・武田信虎のすべて/柴辻俊六編・新編武田信玄のすべて/柴辻俊六編他

<2007/10/9 2012/5/5リニューアル>