甲斐武田を探検っ!!

 

横田備中守高松屋敷跡(古府中)

 

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武田神社の東の道を躑躅ヶ崎館の大手門跡を眺めつつ、北上していくと左手に横田高松(たかとし)屋敷跡があります。こちらの場所も、「古府の図」で案内されている他の重臣の屋敷跡と同様に遺構などはありません。説明案内板が建っているのみとなっています。

専用駐車場はありませんので、武田神社を訪れた際に他の屋敷跡とあわせ、散策してみてはいかがでしょう。

屋敷跡の隣には貯水池があって、少し高くなっていますので、そこから屋敷と躑躅ヶ崎館との位置関係がつかめるのではないかと思います。

横田高松は最初は信虎に仕えたといわれています。信虎・信玄の代に足軽大将として大いに活躍した人物です。同年代を生きた、小畠虎盛多田三八郎(満頼)・原虎胤・山本勘助とともに「足軽大将衆五人衆」の一人にも数えられています。高松の死後は養子に入った原虎胤の子康景が跡を継ぎます。彼も実父・養父に負けぬ猛者でありましたが、設楽ヶ原で討死します。

 

横田備中守高松

伊勢、もしくは近江出身の浪人であったと言われています。天文十九年(1550)砥石城攻めの際64歳で討死します。

顔写真は説明板のものを使用させていただいています。

 <2009/3/16>