甲斐武田を探検っ!!

 

真田弾正忠幸隆屋敷跡(古府中)

 

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躑躅ヶ崎館周辺散策シリーズ?(笑)です。

場所的には高坂昌信屋敷跡の東になります。下の2枚の写真は北側から撮影しています。案内板が建っているのみで、面影などはない・・・んでしょうねぇ、やはり。

真田幸隆は元々信濃の豪族。武田信虎・村上義清らに攻められいったんは上野(現群馬県)に亡命。その後信玄に仕え、武田氏の信濃攻略に大いに貢献します。長男信綱、次男昌輝は長篠にて討死しますが、ともに勇将だったとか。兄の戦死をうけ家を継いだ昌幸は、若い頃から信玄に近習として仕え、曽根昌世とともに信玄から「わしの両目のごとし」と賞され、長篠後の勝頼を支えます。武田滅亡後は豊臣秀吉から一目置かれ、徳川家康からは天敵として恐れられた人物。その昌幸の次男幸村(実名は信繁)は大阪夏の陣において「日本一の兵」と絶賛された人物ですよね!

うーん、真田一族は何かと有能であったみたいですね!その原点が信玄に抜群の信頼を置かれた幸隆です。

 

  

上の写真は南から撮影したものです。道路の右奥が真田の屋敷。手前左は馬場信春屋敷、左奥は高坂昌信屋敷、その更に奥が躑躅ヶ崎館になります。で、右手前は案内板などありませんが、相木市兵衛の屋敷となっています(案内は武田二十四将メインになっていますので)。武田神社前もしくは甲府駅北口にある古府の図、よ〜く観察すると他にもイロイロ隠れてますよ(別に隠してはないですか/笑)!

少し時間に余裕があったので、武田神社東側をフラフラ。今発掘中ですね〜(下写真)!大手門など織田・豊臣・徳川統治下以前のモノがイロイロ出てきています。ちゃんと説明板が設置してあるのが非常に嬉しかったです!ちょっとでも時間のある方、神社境内から抜け出て東側も見てみては!?

 

真田弾正忠幸綱

説明板やその他資料には「真田幸隆」とされている場合がありますが、「幸綱」が正しいのだそうです。

顔写真は説明板のものを使わせていただいています。

 <2007/12/13>