甲斐武田を探検っ!!

 

三枝勘解由左衛門尉守友屋敷跡(古府中)

 

史跡一覧へ

人物一覧へ

トップへはこちら→

kfc015

2007年に案内説明板が設置された躑躅ヶ崎館跡(現武田神社)周辺にある二十四将屋敷跡のひとつです。写真の通りすっかり現代の建物が建っており、かつてを思い起こさせるものはありません・・・

場所ですが、武田神社西をそのまま南下。原昌胤屋敷跡が右手にありますのでそれを見つつ、そのまま歩くと程なく左に案内板が現れます。写真の茶色い建物が目印ですね!

・・・しかし、こういうところに住んだら自分的にはかなり嬉しいですよね。「俺は三枝守友の屋敷跡に住んでるんだ!」。まぁ、三枝守友だけでなく、他の人物でもよいのですが。興奮して寝れないかも知れません(笑)

 

三枝(さいぐさ)守友は土佐守虎吉の子。信玄に奥近習として仕え曽根昌世・真田昌幸とともに高く評価、その後足軽大将になります。信濃・西上野などで活躍し、それが山県昌景の目にとまり、昌景より山県姓を与えられ「山県善右衛門尉」を一時期名乗ったことは有名な話です。

信玄の跡を継いだ勝頼にも仕え、天正三年(1575)長篠城を包囲した際には、信玄の弟河窪(正式には武田と名乗っていたようです)信実らとともに鳶之巣山に布陣。しかし徳川軍酒井隊の夜襲をうけ、必死の抵抗の甲斐なくほとんどの兵とともに討死しました。

彼の死後は嫡子守吉が幼少のため、弟の昌吉が家督を継ぎ、武田氏滅亡後父虎吉とともに徳川氏に仕え、現代までその血筋を残しています。自分の周辺にも「三枝さん」多いですね〜。甲府盆地東部が勢力範囲だった甲斐の古豪三枝氏でした。

 

三枝勘解由左衛門尉守友

守友と言われていますが、最近の研究により「昌貞」が正しい実名となっています。今回の案内は、案内説明板表記に従い守友としています。

顔写真は説明板のものを使用させていただいています。

 <2008/3/4>