甲斐武田を探検っ!!

 

小山田左兵衛信茂屋敷跡(古府中)

 

史跡一覧へ

人物一覧へ

トップへはこちら→

kfc014

古府の図」の案内にも載っている、小山田信茂屋敷跡の紹介です。

躑躅ヶ崎館前の道を西側に行き、そのまま道なりに北上。少し行くと駐在所がありますので、その周辺が屋敷跡!ということになります。ほんの少し北上した信号の下には武田信廉屋敷跡の案内板、またその信号を左折し、少し歩くと土屋昌続屋敷跡となります。ちなみに武田信廉屋敷跡をさらにグングン北上すると、武田竜宝のお墓(屋敷跡)、更に行くと宝積寺、そしてそして、積翠寺要害城と、結構楽しむことのできる地域となっています。とはいえ、信簾と昌続の屋敷以外は徒歩では厳しくなると思います・・・

祖父越中守信有が武田信虎と和睦してからは武田氏と婚姻関係を多く結び、武田氏の中でも大きな影響力を持った郡内小山田氏。信玄の西上作戦と呼ばれるうちの三方原合戦では、小山田隊の石礫の挑発にのり徳川軍が攻撃を仕掛けてしまった・・・そのような逸話も残されています。

信茂は信玄と直接婚姻は結んでいませんが、それでも信任は厚かったようで、勝頼の代になっても信玄在世時から行われていた山県・内藤・馬場・春日・原隼人などの重臣による会議にも参加しています。もちろん、信玄時の重臣の多くが討死した長篠以降、穴山梅雪・武田信豊などとともに新しい世代で危機を乗り切ろうとしています。

上の写真は屋敷跡からの躑躅ヶ崎館。木々が生い茂っているところが館です。

駐在所の目の前ということで、訳もなく緊張しながらの写真撮影となった今回でした(笑)

 

小山田左兵衛尉信茂

武田勝頼らの笹子越えを拒否し、郡内地方を守った「郡内守護」小山田信茂。そんな彼も織田氏により甲斐善光寺で子信綱らとともに処刑されてしまいました。

顔写真は説明板のものを使用させていただいています。

 <2008/9/13>