甲斐武田を探検っ!!

 

武田刑部少輔信廉屋敷跡(古府中)

 

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武田信玄の弟で、顔かたちが信玄に似ており影武者をつとめた・・・などとも言われています武田信廉です。逍遥軒信綱(しょうようけんしんこう)のほうが知られていたりしますね。彼の父は信虎、母は大井信達娘/瑞雲院殿?(信玄が1521年、信廉は1532年生まれなので年が離れすぎでは?といわれていますが)といわれており、大泉寺の武田信虎像などを描いた画家として有名です。

その信廉の屋敷跡とされる場所は武田神社の北にあります。遺構などはありません。案内説明板が建っています。また、駐車場はないですから武田神社から徒歩ですね。しかし、歩いて10分もかからないと思いますから。のんびり周囲を眺めながらいかがでしょう。彼の屋敷の近くには小山田信茂や土屋昌続の屋敷あともあります。さらに北(要害城方面)に行くと武田竜宝屋敷跡と呼ばれている場所もありますよ!

彼は信玄・勝頼を補佐しますが、織田・徳川氏の信濃・甲斐侵攻時には守りについていた信濃大島城を放棄、甲斐に退却してしまいます。その後織田信忠軍により捕まり武田神社近くを流れる相川で処刑されたと伝わります。

甲府市桜井(甲府の東部です)に信廉の所領があり屋敷もあったといわれており、現在その地に建つ逍遥院に息子信澄とともに供養塔があります。

 

結構武人としての評価の低かったりする信廉ですが、イザ自分がこの時代に生きていたとしたら、武田信玄・山県昌景などの活躍はできないはず。当然信廉の足元にもおよばないはず。この時代の人たち、恐ろしいくらいのプレッシャーのなかで生きていたのだと思います。すごいですよね〜

 

武田刑部少輔信廉

甲陽軍鑑では、信玄の影武者をつとめ、信玄死去を疑った北条氏の使者をまんまと騙したと伝わっています。

顔写真は説明板のものを使用させていただいています。

 <2008/4/10>