甲斐武田を探検っ!!

 

長坂左衛門尉長閑斎屋敷跡

 

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大河ドラマ「風林火山」の影響でしょうか?武田神社は大型バスが平日でも数多く乗り入れていて、また周辺の武田家臣団屋敷跡も観光パンフレットで紹介され、二十四将の屋敷跡などには看板が設置されています(原美濃守のみ場所が不明ということですが・・・)。言い方を変えると、二十四将以外の家臣の屋敷には、特にスポットあたっていない・・・。

と、いうことで今回は甲府市屋形にある「長坂長閑斎光堅(左衛門尉虎房・釣閑とも)」の屋敷を紹介です。北杜市長坂町にも長閑屋敷と呼ばれ長坂長閑斎の屋敷跡だといわれている、中世の屋敷跡があります。また愛宕神社にも「長閑石」と呼ばれるものがあります。長閑ファンはゼヒこれらも(笑)!

 

屋敷跡といわれている場所は地区の公民館となっていて、横に「長坂左衛門尉長閑邸跡」という石碑が建っています。残念ながら二十四の屋敷跡のような看板は建っていないんですけれども。

長閑斎は越後上杉氏の謙信死去後の後継者争いの際、景勝側から賄賂を受け取っただとか、武田勝頼に取り入り跡部勝資とともに武田氏を滅亡に追いやったとか、華々しい二十四将に比べかなり陰の多い人物となっています。それでも、天文十七年(1548)より諏訪郡代を勤めていたりします。ですのでまったく無能ということではなかったようです、口達者ではあったようですが。ただ、息子源五郎が義信事件に連座してからは、あまり表舞台には登場しなくなっていきます。再び表に表れるのは、信玄死去後勝頼の代になってからです。

こちらの場所ですが、とにかくわかりづらかった!公民館を頼りに行こうとしましたが、普通公民館や集会所って「わかりやすい場所にある」ってイメージありまして。しかし、こちらは細い道を入っていきます(左下の写真)。かろうじて車一台通過できる状況。自分は武田神社に車を駐車し、散歩がてら何とか探しだしました〜。目印は、地区の放送スピーカーでしょうか(すぐ上の写真)。

武田神社から行く途中には内藤昌秀(昌豊は間違いだそうです)・原昌胤・三枝昌貞(守友は間違い)屋敷跡の看板が建っています。コレもみながら行くと、かなり楽しい時間を過ごせます!

 <2007/11/22>