甲斐武田を探検っ!!

 

高坂弾正忠昌信屋敷跡(古府中)

 

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古府の図でも案内されている、高坂昌信屋敷跡です。

高坂昌信、武田家の歴史などが書かれた甲陽軍鑑の著者?としても有名ですが、元は石和の豪農の出。ふとしたことで当時の武田晴信(後に信玄)の眼にとまり、奥近習として仕えます。その後の努力により家中で認められ信濃海津城主として対越後上杉家の押さえとなり、武田二十四将や武田四名臣(他に内藤昌秀・馬場信春・山県昌景)に数えられた人物。かなりの美男子(イケメンってこと?/笑)だったそうで信玄も心奪われたほどなんだとか。

海津城にいた時には部下にも慕われ、天正六年(1578)に病死した際には配下の小池主計などが長野県にある昌信菩提寺明徳寺で殉死してしまっています。

 

屋敷跡には説明板があり、また立地的にも非常にわかりやすい場所。躅ヶ崎館大手門側の南です。現武田神社南側に駐車などをするとすぐ行くことができます。現在は完全に住宅地となっています。この土地を掘れば何か出てきたりするのでしょうか?それはわかりませんが、信玄公の館のすぐ近くに居を構えている高坂。深い理由あるのか?ひょっとして信玄公との熱い仲で・・・とか、余計なことをイロイロ想像してしまいます(笑)実際は重臣なので、というのが正解だそうですが(穴山・馬場・内藤なども館周辺に屋敷を構えています)。しかし、少し横道それた想像も楽しいです!

 

すぐ左上の写真、南方から撮りました。向かって右が高坂、左は穴山信君の屋敷跡となります。また、高坂の屋敷の右手には真田弾正忠幸隆(幸綱が正解です)の屋敷跡があります。

古府中、屋敷跡めぐり!パンフレットや古府の図をよーく見てください!信濃先方衆相木市兵衛の屋敷跡も高坂昌信屋敷の近くにあります(説明板などは建っていないですが)。時間の許す方、ゼヒチャレンジ!!

 

春日虎綱

彼の実名ですが、春日虎綱。説明板が「高坂弾正忠昌信」となっていますので、今回は「高坂」で案内しました。高坂(もしくは香坂)昌信という名乗りはきちんとした文書にはほとんどでてこないそうです。

顔写真は説明板のものを使わせていただいています。

春日源助(のちの春日虎綱または高坂弾正)出身地、石和広岡の地(現笛吹市石和町窪中島・市部)です。このあたりには明治四十年までは遺構が確認できたそうです!しかし、石和の地は昔から日本三大急流の一つに数えられる富士川の支流、笛吹川の水害に見舞われた地なので、コトあるごとに土砂に埋没。明治四十年の大水害で完全にわからなくなってしまったのだとか。まだまだ掘るといろいろ地下に埋まってるらしいです(笑)。

ただ、石和の屋敷跡の特定は可能なはずです。また、わかり次第案内しますね!

 <2007/11/29>