甲斐武田を探検っ!!

 

一条右衛門太夫信竜屋敷跡(古府中)

 

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甲府市北新にある一条信竜屋敷跡です。「古府の図」の武田二十四将屋敷図に記載されているのですが、この屋敷跡だけ他の屋敷と離れています。パンフレットによると武田神社から徒歩約10分なんだとか。

私の行動パターンは基本的に乗用車、南方面から来たのですが、ちょうど説明板が隠れていてなかなかわかりませんでした。武田神社など北側からですと説明板が簡単に見つけられるはずです。「北新小北」の信号とコンビニエンスストアが目印です。

現在屋敷の跡地には、2007年に設置された説明板が建っているだけで遺構などは「?」です。しかし、ほかの武将の屋敷とは少し重み?が違うかな?と。

天正十年(1582)、織田・徳川軍の侵攻により新府城をおちた武田勝頼一行は、郡内岩殿城を目指し新府をでて東へ向かいます。そして古府に到着。そのときこの一条信竜屋敷で休憩をとったのだとか。その後、一行はそのまま東進。甲斐善光寺で小幡昌盛と今生の別れ、更に春日居(現笛吹市)で勝頼の子を家臣に預け、そして笹子越えに向かっていきます。

武田勝頼・夫人・信勝らはどのような気持ちでココで休憩したのでしょうかね?様々な思いのなかにいたんでしょうね。そんな、武田家滅亡に関する話が残されている一条信竜屋敷跡です。

なお、一条信竜、さらに嫡子の信就は武田家滅亡時は本拠上野城に籠城。徳川軍と戦ったのち市川の地で斬首されたとも伝わっています。

 

一条右衛門太夫信竜

甲府盆地南部の上野城主(市川三郷町)。武田信虎の子で、武田一族の中でも武に秀でた人物として家臣などから評価を受けていたようです。

顔写真は説明板のものを使用させていただいています。

 <2008/1/5>