甲斐武田を探検っ!!

 

原隼人佑昌胤屋敷跡(古府中)

 

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甲府市屋形の原隼人佑昌胤屋敷跡です。武田神社から徒歩約5分で到着するはずです。

こうやって躑躅ヶ崎館周辺の家臣団の屋敷跡を紹介していますが、すべての場所に専用の駐車場はありません。基本は躑躅ヶ崎館から徒歩。ゆっくり散策を楽しみましょう!

 

原昌胤屋敷跡ですが、もとは父加賀守昌俊の屋敷です。「古府の図」にも加賀守屋敷として記載されています。昌俊死去後、そのまま昌胤が住んだようですね。ちなみに「鬼美濃」こと原美濃守虎胤とは別の系統です(虎胤は下総出身)。昌胤の本拠は現甲府市高畑だったのだとか。

昌胤は武田軍の陣立てなどを立案する陣場奉行をつとめ、信玄に非常に重用されましたが、裏方仕事なため文献などには目立った活躍は大して記されていません。陣場奉行は父からつとめていたそうなので、この才能は原家の特許だったのでしょうかね。

信玄亡き後、昌胤は勝頼を支えようとしていますが、他の多くの老臣とともに長篠にて討死します。その後家督は嫡子隼人佑昌栄(まさひで)が継ぎますが、上野国膳城攻めで負傷、その傷が原因で天正八年(1580)甲府にて死去、その跡と継いだのは昌胤の三男で昌栄の弟隼人佑貞胤。武田滅亡時には真田昌幸を頼って上田におちていったのだとか。貞胤はその後真田信幸に仕え、大坂の陣の際には大坂方の将であった真田信繁(幸村)の元を訪れ、彼と往時を語り合った・・・そんな話が残されています。

 

原隼人佑昌胤

天文十九年(1550)父昌俊の跡を継ぎます。ちなみに昌胤の次男、宗一郎昌弘は三方原にて討死しています。

顔写真は説明板のものを使用させていただいています。

 <2008/1/7>