甲斐武田を探検っ!!

 

穴山玄蕃頭信君屋敷跡(古府中)

 

史跡一覧へ

人物一覧へ

トップへはこちら→

kfc006

武田神社のすぐ南に穴山信君屋敷跡があります。左の写真の通り、説明案内板の道を挟んで反対側には武田神社。立地的には非常によい場所。武田家の屋敷のすぐ横にある屋敷ですから、家臣の中でもかなり重要な地位にいた人物だと考えることが容易にできます。こちらの場所ですが、「古府の図」で案内されている他の屋敷跡と同様に遺構などはありません。説明案内板が建っているのみです。それでも、この場所に有名な武将たちが居たんだ・・・と思うととても嬉しいです!

神社のついでにいかがでしょう?また近くにはお土産店がありますので、様々なグッズも見れて楽しめると思いますよ!

穴山信君は甲斐河内地方(身延周辺です)を領していましたが、信玄の駿河侵攻にともない駿河興津領も支配するようになります。さらに長篠で山県昌景が討死すると、信君が駿河方面の中心となります。天正十年、徳川氏が駿河に侵攻してくるといち早く徳川氏についてしまいます。武田勝頼・武田信豊などと確執があった・・・などとも言われていますよね!

信君は、父は伊豆守信友。母は武田信玄の姉、南松院殿。妻は信玄の娘、見性院殿。このように武田家と重縁で結ばれています。その血縁から、織田・徳川氏の甲斐侵攻時「我こそ武田を・・・」と思ったかどうかはわかりませんが。とにかく「武田」の家名を残そうとした信君です。

 

穴山玄蕃頭信君

永禄・天文年間には左衛門太夫、天正初めは玄蕃頭、天正八年(1580)に入ると陸奥守、同年末には梅雪斎不白を名乗るようになります。

顔写真は説明板のものを使用させていただいています。

 <2008/3/18>