甲斐武田を探検っ!!

       土屋氏屋敷

 

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ki021

史跡・関係地名:土屋氏屋敷

住所:山梨県甲斐市島上条

場所のわかりやすさ:△

駐車場:×

説明板:×

売店:×

地図:

 

関係人物:土屋昌続・土屋昌恒など

<名族土屋氏の居址>甲斐国志に「土屋氏ノ居址」と記され伝わる場所が甲斐市島上条地区にあります。武田信虎による飯田合戦戦死者供養板碑が伝わる八幡神社北方になります。小学校北側の給食センター付近が土屋氏屋敷であると「図解山城探訪」は言います。なお、この八幡神社には土屋氏の鎮守も祀られているのだとか。

 

「図解山城探訪」によるとこの周辺には140m四方の道路で囲まれた方形地形が残されます。その北と西には細長い区画があり、ここはかつての堀・土塁ではなかったかと指摘します。右上の写真がちょうど土塁・堀にあたるとされる場所。細長い区画がわかります。現存する土塁・堀などはなく宅地化されています。地割のみでしか掴むことができません。

 

給食センター北が「大庭」と呼ばれており、土屋氏屋敷だと思われています。北側から屋敷跡を見たものが左上写真ですが、この写真のちょうど裏(南側)が住居跡。今は畑となっています。

<土屋氏>甲斐武田家臣団の中でも有名な人物である土屋昌続・昌恒兄弟。兄弟の父は金丸虎義。甲府盆地西部(現南アルプス市)に勢力を持っていました。虎続五男土屋昌続は甲斐の名族土屋氏を継ぎ地頭としてここに居を構えていたと考えられています。彼は信玄の側近として活躍し、設楽ヶ原で討死します。六男昌恒は駿河の土屋貞綱の養子となり、偶然兄と同じ土屋姓を名乗っています。昌続討死後は昌恒が兄の遺領・同心などを引き継ぎ、その後も武田勝頼を支え、天目山で大いに働き討死しています。その後昌恒の子は後に徳川氏のもと、大名となっています。

周辺の甲斐武田氏関係地:八幡神社(島上条)・攀桂寺など

参考文献:図解山城探訪第16集/宮坂武男・甲斐国志・武田勝頼のすべて/編柴辻俊六平山優など

<2012/8/13>