甲斐武田を探検っ!!

       安部加賀守祠

 

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ki018

今回はいつもお世話になっているおすぎさまの情報を元に行ってきました。おすぎさま、ありがとうございます。

史跡・関係地名:安部加賀守宗貞祠

住所:山梨県甲斐市宇津谷

場所のわかりやすさ:×

駐車場:×(路駐でしょうか)

説明板:×

売店:×

地図:

関係人物:安部宗貞など

<領民に慕われた加賀守>安部加賀守、安陪とも書きます。初名は五郎左衛門尉と言い、多くの書物には勝宝・貞村・定村などと記されている人物ですが、安陪(安部)宗貞が正しい?名前なのだとか。彼は天文十九年頃の使番十二人衆の一人であり、後の山縣昌景・春日虎綱らとともに使番の役を勤めています。また、武田勝頼が永禄五年に高遠城主になった際の勝頼付侍大将八人のうちの一人でもあり、甲陽軍艦で「軍ノ差引ハ五郎左衛門次第」とも称されてもいます。そのような経歴の持ち主である安陪宗貞は勝頼の近臣として活躍しますが、天正十年には武田勝頼にとともに行動し、田野にて殉死しています。

宗貞は宇津谷に住んだといわれ、地区内には元屋敷という地名も残り、地名との関連性も指摘されています。その安陪加賀守墓所が同地区内妙善寺にあります。

<ひっそりと静かに今も慕われる・・・>甲斐市広報によると、田野で死んだ安陪加賀守の霊を供養するため、近隣者15名が建てたとの言い伝えがあります。毎年八月末日には提灯をつるしこの祠をいわうお祭りをしているのだそうです。とても興味のわく記事だったのですが、広報には地図などが記載されておらず、現場付近の写真が1枚載るのみで、詳しい場所はわからず。せっかくなので記事を手がかりに地区内をくまなく歩く覚悟で出発・・・。そうして、なんとか発見できました!

 

その場所ですが、妙善寺前の道を北方に進みJR中央本線の下をくぐり、一つ目の四つ角を右に曲ります。するとすぐ左に折れ上り坂になりますが、上り坂途中の右手に階段がありますのでそれを登ると到着です。

  

現地には説明板などもなく、石祠があるのみ。甲斐市広報には「碑」とありますが、これは「石祠」。石碑も隣にあるのですが、広報写真は祠を写していますので、こちらも祠を紹介します。祠の側面には建立した人物名があります。さらに天保という年号も読み取れるので、1830-1844の間に建立された祠ということになりすね。

ほとんど知られずに(少なくとも私は知りませんでした)今までひっそりと受け継がれてきた安部加賀守祠。山梨県内にはまだまだ知られていないモノが残されているのでしょうね。

周辺の甲斐武田氏関係地:妙善寺など

参考文献:武田勝頼のすべて・甲斐市広報他

今回はいつもお世話になっているおすぎさまの情報を元に行ってきました。おすぎさま、ありがとうございます。 

<2012/4/16>