甲斐武田を探検っ!!

       飯富兵部屋敷跡

 

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史跡・関係地名:飯富兵部屋敷跡・阿他屋堀跡

住所:山梨県甲斐市西八幡

場所のわかりやすさ:×

駐車場:×

説明板:○

売店:×

地図:

関係人物:飯富虎昌・山県昌景・窪田忠廉・山県大弐など

<阿他屋堀とは?>飯富、そして山県が屋敷を構えていた場所の紹介です。「阿他屋堀」の存在はちょっとした書籍などには記されているのですが、詳しい場所はなかなかわかりません。今回お世話になったのは甲斐国志と玉幡村誌です。玉幡村は現甲斐市合併前の竜王町のさらに合併前にこのあたりにあった村の名前です。

 

 

さて、甲斐国志に「阿他屋堀ト云下水溝アリ一蓮寺過去帳延徳四年十二月廿八日聞一房八幡ノ飯富内ト見ユ婦人ノ法名ナリ(中略)此所飯富氏数代ノ旧址ニテ兵部少輔自裁シテ後ハ山県三郎右兵衛尉居之・・・」と記されています。また昭和二十八年の玉幡村誌によると、「現地調査によれば字法印寺村、小字北村地内(番地のため略)其の痕跡を認めることが出来る。・・・数ヶ所の竹ヤブ中にある土塁の遺跡並に自然石の敷石を発掘したること、又おたや堀と称する堀のありしこと、其の他に僅に認められる底地の残存せることなど傍証として一応取揚げねばならぬ」とあります。この村誌の記述により今回行き着くことができました。

しかし現在堀の痕跡は残されておらず、地区の方が建てられた「古里おてい堀について」の石碑と道祖神、桜の木などがあるのみとなっています。石碑によると、堀は地方病撲滅のため大正十三年頃埋めてしまったのだとか。村誌にある「竹ヤブの土塁と自然石の敷石」もすでに消滅しているものと思われます。地割でその名残をとどめている程度です。

・・・散歩されていたおばあさんにお話が聞けたのですが、阿他屋堀の発音は「おでーぼり」が正しいそうです。とても懐かしそうに、楽しそうにお話してくれたのが印象的でした。

 

<武田氏滅亡後の山県は。>玉幡村誌によると、山県昌景没後も山県氏はこの地に住み続けますが、徳川氏の支配する代になると領地は削られ農民として生活をしていたようです。天正十年六月十七日窪田助丞の本領安堵状に「西八幡地内」「山県分」「山県知行之内篠原八幡之内」とあるようです。それを参考にすると、山県(飯富)の屋敷はこの地にあったものだと思ってよいのでしょう。窪田助丞(忠廉)は後に八王子千人同心となり、八王子に転居します。山県氏はその後もこの地で農家を営み、江戸時代中期に子孫から儒学者山県大弐が現れます。

<追伸>今回、玉幡村誌とおてい堀の石碑、そしておばあさんに感謝です。とても楽しく甲斐武田を探検できました。このような昔から語り継がれる場所、ゼヒ後世に残るようにしてほしいですよね。ちなみに飯富兵部・山県昌景墓所は同じ甲斐市内の天沢寺にあります。

周辺の甲斐武田氏関係地:山県神社・信玄堤など

参考文献:甲斐国志・玉幡村誌 など

<2010/12/20>