甲斐武田を探検っ!!

              如意山宝珠寺

 

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史跡・関係地名:臨済宗妙心寺派如意山宝珠寺/開山麟岳和尚卵塔

住所:山梨県甲斐市大下条

場所のわかりやすさ:△

駐車場:△(隣のスーパーが都合よいです)

説明板:×

売店:×

地図:

関係人物:麟岳(林岳)宗秀和尚・武田信廉武田勝頼など

 

<如意山宝珠寺>宝珠寺は、臨済宗妙心寺派ですが、建立された年は不明です。しかし、開山の麟岳和尚は武田勝頼と関係のある人物。天正年間あたりの創立なのでしょうか?

場所ですが、少しわかりづらいかもしれません。まず流通業界の間では全国的に名の知れたスーパー、「PAX(パークス)」の東側を第一の目印に。さらにお寺への入口がわかりづらいのですが、大下条公民館が目印になります。自動車は「PAX」に停めさせていただき、帰りにお礼代わりにチョット買物していきましょう。また、境内に説明板はありませんのであらかじめご注意ください。

<麟岳宗秀>麟岳は甲府の長禅寺二世春国光新の弟子であるといわれ、後に甲府塚原にあった大龍寺の住持(大龍寺麟岳和尚)となっていますが、大龍寺は武田氏滅亡とともに廃寺となりましたので現在はありません。こちらの宝珠寺開山である麟岳ですが、下の石碑の写真を見てもらえるとわかるとおり、1582年3月11日に死去しています。つまりは天正十年三月十一日、武田勝頼らが田野で討死し武田氏が滅亡したとき。麟岳も田野の地では勝頼とともに戦い、敵を9人斬ったのだとか。しかし多勢に無勢、弟子の円首座(えんしゅそ)禅師とともに討死します。ナゼ僧である彼が勝頼に最後まで付き添ったのでしょうか?

麟岳は、「甲陽軍鑑」では武田勝頼の従兄弟「甲乱記」でも武田勝頼に近き親類とされています。江戸時代に編纂された「系図纂要」では、彼は武田逍遥軒の息子で信澄の弟とされています。武田氏研究の第一人者である平山優氏によると、麟岳が逍遥軒の息子であった可能性は「極めて高い」そうです。

「甲斐国志」によると麟岳は武田信豊とともに勝頼を補佐し、長坂・跡部とともに政務を担当していたのだとか。しかし家臣団からはウケの悪い長坂・跡部らと行動をともにしていたことにより、「黒衣ノ丞相」と言われていました。そうは言われつつ、最後まで勝頼と行動をともにし、勇敢に戦って死んでいった姿に「信長公記」でも賞賛を送っています。

  

住宅地の中にさりげなくお寺があり、そのお寺の本堂の裏にこちらもさりげなく武田一族に関わるモノがある・・・。素敵だと思いませんか?

周辺の甲斐武田氏関係地:飯田河原合戦供養板碑慈照寺信玄堤など

参考文献:武田勝頼のすべて・新編武田二十四将正伝・甲斐国志・定本武田勝頼他

 <2010/2/28>