甲斐武田を探検っ!!

       右左口砦

 

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史跡・関係地名:右左口(うばぐち)砦

住所:山梨県甲府市右左口町

場所のわかりやすさ:△

駐車場:△

説明板:×

売店:×

地図:

関係人物:徳川氏・九一色衆など

<中道往還警護の砦>甲府市から富士山麓の精進湖をつなぐ国道358号、かつては中道往還と呼ばれていました。甲斐から駿河に抜ける道なのですが、武田氏の頃、軍事的には河内地方の河内路道、笛吹市を通り河口湖へ抜ける若彦路が主に使用されていました。中道往還はこの地域を周辺を領した九一色衆の物資輸送がメインであったようです。この地が大きく歴史上に現れるのは、武田氏滅亡後。河内路から甲斐に侵攻した徳川家康は府中で織田信長と合流し、中道往還を整備して信長を案内しつつ駿河に抜けています。その後織田信長は本能寺の変で倒れ、旧武田領国は徳川氏・上杉氏・北条氏の奪い合いになります。

右左口砦は主に中道往還警護のため徳川氏により造られたと伝わります。視界には金刀比羅山烽火台が入り、烽火台の役目も果たせる立地であることから、武田氏の時代には烽火台としても使用されていた・・・と考えたいですね。砦は旧道沿いにありますが、この旧道は徳川氏の時代のものではありません。近世に造られた道ですので、砦が関所の機能も担っていたということはないようですね。純粋に警護・烽火台のためだと思われます。

さて、国道358号から右に入り中道往還右左口宿を抜け、道なりにのぼっていくと国道358号の下を通り、冬期通行止め(4/21〜通行可)のゲートに到着します。そのゲートあたりの道端に自動車を停め、林道を歩きます。

 

右側を見ながら進むと、右上写真ですが竪堀に遭遇。普通の沢かと思うのですが、主郭部からイロイロ観察してみると、これが竪堀だと気づきます。

 

ゲート部から10分程度歩くと、右側に桑畑が現れます。その右側を(道はありませんが)登るとすぐに主郭部です。

 

平坦部(主郭)は烽火台としては大きく思われます。やはり多少の兵力が籠る砦であったのでしょうか。ただし、木々が被いどのくらいの広さかはわからずじまい。

 

 

主郭部北側には数段の腰郭?がありさらに緩やかに下ります。その斜面左側が注目で、三本の立派な竪堀跡を見ることができます。

 

ちなみに主郭部すぐ下には帯郭も取り巻いています。

 

林道からは、北東側に金刀比羅山烽火台(左上写真)、甲府盆地も望むことができました。自然の中を歩きリフレッシュできますが、砦自体は何も整備されていません。事前に予習をし、動きやすい格好で出かけましょう。

右左口砦・金刀比羅山烽火台は服部半蔵正成率いる伊賀衆が警護に当たったといわれます。

周辺の甲斐武田氏関係地:迦葉坂・中道往還右左口宿など

参考文献:山梨県史・天正壬午の乱/平山優他

<2012/4/9>