甲斐武田を探検っ!!

       平瀬の烽火台

 

 史跡一覧へ

 人物一覧へ

 トップへはこちら→

kfn028

史跡・関係地名:平瀬の烽火台(城山・番人小屋)

住所:山梨県甲府市平瀬町

場所のわかりやすさ:△

駐車場:△

説明板:×

売店:×

地図:

 

関係人物:武田氏など

<番人小屋?>標高586m比高130mの通称城山、番人小屋ともいわれているようです。甲斐国志では「平瀬村ノ北ニ里人城山ト呼ブ烽火台アリ山頂ニ廿四間ニ八間許石塁存セリ御岳・猪狩・柳平等ヨリ烽ヲ達スベシ」と記されています。山梨県史によると、山頂には東西30m南北18mの楕円形の主郭、主郭の周囲には幅1〜5mの帯郭が囲んでいます。西端には門跡かと思われる石組み、東側には帯郭が二段。主郭・帯郭という簡素な構造から、烽火台の典型とされています。平瀬地区との密接な関連性(番人小屋という言い伝え)が指摘されています。

 

離れた場所からも確認できる烽火台の山。平瀬地区のある西側からが正確な登城口らしいのですが、道はわからず更に急斜面で、巨石も多数。あまり無理をしないほうがよいようですね。

 

であるならば、等高線も混んでいない東側から登城します。県道沿いのアンテナ(左写真)がちょうど烽火台と繋がる場所で、この左奥には自動車が停める事のできる広い場所(右写真)がありますのでそちらに駐車。さらにその奥には現在使用されているとは到底思えない家屋がありますので、その脇を通り尾根沿い?を5分強歩くと到着です。主郭部付近のみ道がわからなかったので、直登。若干勾配があり落葉・木の枝など多くあるのでご注意ください。

 

直登して、帯郭付近に、石組みがありました。山梨県史には記されていないので、自然のものか、近年積まれたものか。ちなみにAM10時頃にこのあたりをウロウロしていました。写真に写る木々の影を見ておおよその方角がわかりますね。

 

さて、ほとんど息も切れることなく山頂に到着し、本来の虎口と思われる西側に行くと三角点がありました。右写真は主郭を西側からみたもの。

 

西側には石組みがあります(左写真)。この石組みは山梨県史でも紹介されており、門跡か?とされています。このような烽火台跡に石組みが残されていることは珍しいことなのだとか。また、主郭部には石祠がありました。祭神は?

 

主郭の周囲には、帯郭があります。地面には石が多く、浮いているものもあり落葉で隠れているものもあります。くれぐれも注意してください。

 

烽火台からは南アルプスもかすかに望めました。府中方面(甲府市中心部方面)には僅かに千代田湖付近の山の頂上が望めました、このあたりにも烽火台があったのでしょうか。

ところでこの烽火台を守ったのは一体誰なのでしょう。平瀬地区の村人が守ったのだと思うのですが、同じ地区内の細草神社には地頭として駒井氏・跡部氏の名が残されています。さらに少し離れますが全国的に有名な景勝地、御岳昇仙峡がありますので、御岳衆の存在もあります。信虎時代には国人衆が御岳に退去し、天正壬午の乱の時には徳川軍が御岳から山中を抜け、獅子吼城を落としています。比較的重要な道として、武田氏の時代にも使用されていたであろう御岳への道、重要家臣が監視していたのでしょうか?

周辺の甲斐武田氏関係地:天沢寺細草神社・御岳昇仙峡など

参考文献:甲斐国志・山梨県史資料編7中世4考古資料など

<2012/2/20>