甲斐武田を探検っ!!

       徳雲山長慶寺

 

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<史跡・関係地名>徳雲山長慶寺

住所:山梨県甲府市塚原町

地図(別ウインドーになります)

場所のわかりやすさ:×(畑の中にあるので注意)

駐車場:×(道端に停めるしかないと思います)

説明板:×(何もないはずです)

売店:×

<関係人物>秋山越前守虎康・下山の方・秋山虎繁など

<草木に埋もれ>「長慶寺」は武田信縄墓所のある恵運院近く。甲斐国志などでも紹介されています。とはいえ、今は無住。敷地がどういう状態かもわからない状態です。入口は何とかわかりますが、ココから本堂に行くまでにはどうやっても果樹園を通り過ぎなければ行けません。ただし、雰囲気はとても気にいってしまいました。草木に覆われ、周囲も静かで。「懐かしい」そんな言葉がピッタリの場所です。

臨済宗妙心寺派長禅寺末徳雲山長慶寺。開山は江月西堂、天正年間の人物だそうで、建立も天正年間ということになるでしょうか。かつては、中郡(現甲府市国母)にあったものを、水害によりこちらに遷したとも伝わっています。さて、甲斐国志によるとこちらのお寺に位牌が2枚伝わっています。「前越州太守円感存龍禅定門、三月二十五日」「長慶寺殿安昌喜永禅定尼、六月十八日」ですが、これは秋山越前守とその夫人のものと伝わります。

 

 

本堂裏の藪の中には数多くの五輪塔などがある、と甲斐国志は伝えます。本堂裏には確かに住職のものと思われる無縫塔(むほうとう/卵塔とも)もありましたが、甲斐国志時点で「藪の中」といっているということは、今の時代この墓所のさらに奥?にまだまだ墓石群があるということなのでしょうか。

<秋山越前守>秋山越前守の位牌があると伝わるのは前述の通り。これもまた甲斐国志からになりますが、彼は「秋山越前守虎康」といい、武田信玄の次男龍宝に仕えた御聖導衆。「穴山武田氏/著平山優」によると、秋山氏墓所のある本土寺墓碑に越前守虎康は秋山信藤の一子であり、信藤は秋山虎繁(信友とも)と兄弟であり、彼等の父は新左衛門信任であったと記されているそうです。

 

武田家の重臣である穴山梅雪は徳川家康に通じていましたが、徳川家康の甲斐侵攻時二人の美女を自分の娘として献上したと伝わります。一人は市河十郎右衛門の娘、そしてもう一人が秋山越前守虎康の娘(於都摩)であったとか。於都摩は下山の方と呼ばれ、天正十一年九月十三日浜松に於いて男児を出生。万千代と名づけられた男児は後に「信吉」と名を変え、穴山梅雪の息子武田勝千代(信治)亡き後の甲斐武田家を再興します。

また、於都摩は家康に差し出される以前、穴山梅雪の弟信嘉(信那)の妻であったと伝わりますが、「穴山武田氏」によると永禄九年に自害した信嘉と於都摩では於都摩の年令があわず無理があるとしています(本土寺墓碑によると天正十年於都摩は16歳、逆算すると永禄十年生まれ)。

ちょっとした無住のお寺から、秋山氏・武田氏・徳川氏・穴山氏・・・と、広がる話。こういうことを考えながらお寺めぐり。楽しいものですね。

周辺の甲斐武田氏関係地:恵雲院躑躅ヶ崎館など

参考文献:甲斐国志・穴山武田氏/平山優・武田氏年表信虎信玄勝頼/武田氏研究会など

<2011/7/11>