甲斐武田を探検っ!!

       仁勝寺跡

 

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史跡・関係地名:仁勝寺跡

住所:山梨県甲府市小瀬町

場所のわかりやすさ:△

駐車場:×

説明板:○

売店:×

地図:

関係人物:武田信長・小瀬信堅・仁勝寺宗印など

武田信満子、武田信長・小瀬信堅開基、一音喝西堂禅師大和尚開山として応永三十二年(1425)創立と伝わる臨済宗向嶽寺派鳳堂山仁勝寺。そのように武田家と関係の深い現在の仁勝寺の場所にはかつて東光院という寺院がありました。古く小瀬の地には仁勝寺・東光院・浄福寺・玉傳寺・善福寺がありましたが、その寺院を統合して東光院の場所に仁勝寺を建てたとされます。かつて仁勝寺のあった場所には、開基などの墓所が残されています。

 

墓地は仁勝寺南方、小瀬スポーツ公園近くの住宅地に残されています。墓地の左手を見ると開基・開山墓地があります。

 

甲斐国志には「武田右馬助信長巨瀬宮内少輔信堅ノ墓二基牌子ヲ建タリ」とあります。二名の墓があるのでしょうか、中央の石がとても怪しいのですが、宿題ですね。

仁勝寺宗印は跡部氏相手に戦い、永享五年(1433)四月二十九日に荒川で討死しています。円光院系図などでは右馬助信義と記され、右馬助信義が武田信長としています。しかし、信長は永享五年以降も活躍が認められるため、これは否定されます。服部治則氏は信義と信長は同一人物ではなく、信義=宗印ではないか?としています。仁勝寺に伝わる開基法名「仁勝寺殿月水宗印大居士」が武田信長であるということも、考え直さなければならなくなっています。上写真の中央の目立つ石は宗印でしょうか。

ちなみに甲斐武田家当主は、・・・-信満-信重-信守-信昌-信縄-信虎-信玄-勝頼となっています。

周辺の甲斐武田氏関係地:玉傳寺跡仁勝寺報恩寺など

参考文献:甲斐国志・今井肥後守の系譜/坂本徳一・武田氏家臣団の系譜/服部治則他

<2012/4/23>