甲斐武田を探検っ!!

       鳳堂山仁勝寺

 

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史跡・関係地名:臨済宗鳳堂山仁勝寺

住所:山梨県甲府市小瀬町

場所のわかりやすさ:△

駐車場:△

説明板:×

売店:×

地図:

 

関係人物:武田信長・巨勢信堅・中沢信忠・三枝昌貞・など

<仁勝寺(にんしょうじ)>臨済宗向嶽寺派聖応寺末鳳堂山仁勝寺、開基は織田右馬助信長・巨勢(小瀬)宮内少輔信堅と言われています。

信長は武田信満の子。父信満が上杉禅秀の乱で討死し兄信重が高野山に逃亡すると、甲斐を我が手にしようとする逸見氏などと戦った人物。様々な問題により、武田氏を継ぎはしませんでしたが、彼の活躍がなければ、その後の武田氏もなかったはず。彼はその後上総武田氏の祖となります。信堅も信満の子と言われています。あまり詳しい事はわかっていませんが、小瀬を領していた事は確か。信長・信堅兄弟でこのお寺を創建したのですね。

 

<小瀬氏、中沢氏に守られて>仁勝寺のご本尊は聖徳太子像、国指定文化財に指定されています。この太子像は16歳の姿と言われており、高さ115.2cm。ヒノキでつくられており、鎌倉時代の作風をよく伝えるものといいます。

「郷土山城」によると、聖徳太子像は新羅三郎義光が甲斐に持って来たといわれ、その後甲斐武田氏が所有することになり、躑躅ヶ崎館に安置されていました。武田信玄は出陣の際や城郭築城の際には太子像に祈願していたのだとか。また、小瀬信堅の三代孫に、中沢左兵衛尉信忠という人物がいました。天正十年、織田徳川軍に攻められ郡内に退こうとした武田勝頼は、聖徳太子像が敵方に渡るのを嘆き、中沢信忠に隠すよう命令。信忠は所領である小瀬村に持ち帰り仁勝寺の本尊としたという言い伝えがあります。しかし、中沢信忠に関してはよくわかりません。中沢氏自体、浅利氏同族の中沢氏、武川衆の中沢氏などがあり、調べるとイロイロ複雑です・・・

 

<三枝昌貞>墓地には、新しい「三枝勘解由左衛門尉守友」の碑があります。ご子孫の方が建てられたのでしょうね。三枝守友とは、真田昌幸・曾根昌世とともに信玄の奥近習として仕え、信玄からも信頼されていた人物。山県昌景からも認められ、一時期山県姓を称した事もあります。近年、三枝昌貞という名で署名している文書が見つかり、守友ではなく、「昌貞」が正しいということです。

周辺の甲斐武田氏関係地:小瀬氏屋敷跡報恩寺など

参考文献など:甲斐国志・郷土山城/甲府市立山城小学校同窓会・武田氏年表-信虎信玄勝頼/武田氏研究会など

<2011/10/31>