甲斐武田を探検っ!!

       国母地蔵跡

 

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<史跡・関係地名>国母地蔵跡/金剛山日輪法城寺跡

住所:山梨県甲府市東光寺

地図(別ウインドーになります)

場所のわかりやすさ:×(奥まった場所です)

駐車場:×(東光寺に・・・)

説明板:×

売店:×

<関係人物>武田信玄・武田信虎など

<さてどうすれば>東光寺西にある法城寺跡。すぐ近くまで自動車で行こうとしたのですが、ダメでした・・・ロングバックするハメになりますのでご注意ください。どうもこの周辺は微妙な道路が多いようです。あまり無理せず歩いていきましょう。ただ、そうはいっても国母地蔵跡には私有地を通らず行けるのでしょうか?左下の写真も目の前に見えてはいるのですが、どうやら家屋の横は私有地?周囲からも入ってこれるような道もなく・・・。

 

 

 

<法城寺跡と稲積国母地蔵>甲斐国志によると、法城寺は臨済宗妙心寺派。国母郷上条の地で法城寺本尊として祀られ、水難除けの地蔵として多大な信仰を集めていた国母地蔵ですが、信玄の命で東光寺に移されたと記されています。しかしながら、高白斎記には大永七年(1527)に躑躅ヶ崎館近くに移転と記されています(武田信虎のすべて)。それらを踏まえ考えると、武田信虎は永正十六年(1519)新たな館(躑躅ヶ崎館)に移っており、その甲斐国主としてのシンボル的な事業として、国母地蔵の府中移転を行なったようです。甲斐国志の「信玄の命で・・・」はいわゆる「信玄信仰」からでた話でしょうか。

その後、天正年間(1582以降)徳川家康により東光寺西に遷されたようです(上条地蔵縁起)。すぐ右上の写真、この建物内に飾られていた写真を撮影してしまいましたが、かつてはこのような大きな地蔵堂があったのだとか。この中に本尊の国母地蔵がありましたが、太平洋戦争の甲府空襲(昭和二十年/1945)で国母地蔵は焼失してしまったといわれ、今は石仏が残るのみです。

周辺は善光寺・東光寺・能城寺などなど。甲斐武田絡みの寺院などが多く集まります。各寺院ともじっくり見ないともったいないのですが、ゼヒこの法城寺跡・国母地蔵もおさえておきたい場所です。

周辺の甲斐武田氏関係地:東光寺甲斐善光寺能成寺など

参考文献:甲斐国志・武田氏年表信虎信玄勝頼/武田氏研究会・武田信虎のすべて/編柴辻俊六・甲府市HPなど

<2011/6/28>