甲斐武田を探検っ!!

       金龍山円成寺

 

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<史跡・関係地名>金龍山円成寺(廃寺)

住所:山梨県甲府市若松町

地図(別ウインドウになります)

場所のわかりやすさ:×(遺構などは全くありません)

駐車場:×(市街地です)

説明板:×(なにもありません)

売店:×(近隣に普通にお店があるのみです)

<関係人物>武田信玄・江間右馬丞・河尻秀隆など

<光沢寺地内町、河尻町から緑町そして若松町>臨済宗妙心寺派東光寺末金龍山円成寺、廃寺となった今、かつて円成寺のあった場所にはまったく跡形がありません。かつてあった場所は、現若松町のマンションの辺りと推定されます。江戸時代に編纂された甲斐国志などには、円成寺所在地が「緑町」と記されており、現代の地名しかわからない私にはどこのことなのかわかりませんでしたが、山梨県史でようやく探りあて。早速行って見ました。

 

このお寺に興味を持ったのは、ある人物が大きく関係しているからなのです。甲陽軍艦などによると、永禄八年(1565)、飛騨半国を領した江間常陸守輝盛が甲斐武田家に通じました。その際人質として、飛騨善玄寺僧侶であった弟円成を甲斐武田家に送ります。その円成を住まわせたのが、こちらにあったお寺なのです。後に彼の名をとって円成寺という寺号にしたと伝わっています。僧であった円成ですが、後に武田信玄に登用され還俗、江間右馬丞と名乗ります。右馬丞は足軽大将となり、勝頼の代には高天神城に在城。天正九年(1581)徳川軍の攻撃により、同城で多くの兵とともに討死しています。

甲斐国社記寺記によると、円成寺は永禄年間に慶叔西堂により創建されたと伝わります。武田家滅亡後は河尻秀隆の屋敷として使われたようでもあります。この近隣地域は河尻町と呼ばれていたこともあるのだとか。また、社記寺記に「河尻与兵衛旧跡ニ御座候古者臨川庵ト申候」とも記されています。河尻秀隆の墓標と伝わる石があったと甲斐国志は伝えますが、今はわからず。

江間右馬丞・河尻秀隆の関係した地。少しでも円成寺の痕跡が残されていればと思ったのは私だけでしょうか・・・

周辺の甲斐武田氏関係地:信立寺一蓮寺光沢寺など

参考文献:甲斐国志・山梨県史資料編9・甲斐国社記寺記・武田遺領をめぐる動乱と秀吉の野望/平山優・甲府市HPなど

<2011/6/5>