甲斐武田を探検っ!!

       山八幡神社

 

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史跡・関係地名:山八幡神社

住所:山梨県甲府市東光寺町

場所のわかりやすさ:×

駐車場:×(街中です、ご注意を)

説明板:×

売店:×

地図:

関係人物:武田信虎・内藤修理亮など

 

<西山の八幡神社>JR中央線金手踏切北に鎮座する山八幡神社。歩くとわかりやすいのですが、自動車ではとてもわかりづらいのではないでしょうか・・・。街中なので勢いよく路上駐車するわけにはいきません。周辺史跡を巡りつつ、歩いてこちらを訪れるというのが、ベターでしょうか。

さて、「山八幡」という名称ですが、当初は西山郷(現甲斐市)にあったので西山八幡と呼ばれており、故あってこの地に遷り、西山八幡がいつの頃か「山八幡」になったのだそうです。

 

 

<内藤修理亮と内藤昌秀>山梨県史資料編7には、大永三年(1523)三月の本殿再興棟札が紹介されています。その棟札には、国主武田信虎と家臣内藤修理亮の名が記されています。これを見ると、信虎に近い位置に「内藤修理亮」がいた訳なのですが、内藤修理亮といえば甲斐の副将とも称された内藤修理亮昌秀(昌豊)が知られています。昌秀ははじめ工藤源左衛門尉と称しており、内藤修理亮への改称は永禄十一年三月以降とと見られています(山梨県史)。と、いうことは昌秀より前に内藤修理亮を称した人物が信虎周辺におり、活躍していたということになります。昌秀がこの「内藤修理亮」と関係あるのかないのかは不明ですが、個人的には大変興味を持ちます。

内藤相模守虎資が天文年間中、信虎諫言し、信虎の逆鱗に触れ手打ちにされたという話も残されていますが、内藤相模守という人物も実在したかどうかもよくわからない人物。内藤昌秀は重臣団の中でも不明な点が多い人物。内藤氏を称した昌秀、その「内藤氏」がいかなる内藤氏なのか。それも興味を持たずにはいられません。

周辺の甲斐武田氏関係地:長禅寺甲斐奈神社能成寺など

参考文献:甲斐国志・山梨県史資料編7中世4考古資料・武田信虎のすべて/編柴辻俊六など

<2011/5/23>