甲斐武田を探検っ!!

       宮原宇波刀神社

 

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史跡・関係地名:宇波刀神社

住所:山梨県甲府市宮原町

場所のわかりやすさ:○

駐車場:○(鳥居左手にあります)

説明板:△

売店:×

地図:

 

関係人物:極楽寺孫助・極楽寺氏・桜林氏など

 

<鎌田の鎮守>境内にある説明板によると鎌田十二ヶ村の総鎮守宇波刀(うわと)神社。十二ヶ村は宮原・堀内・高室・関口・古市場・円満寺・窪中島・極楽寺・中盾・西新居・紙漉阿原・押越。甲府市南部・中央市・中巨摩郡昭和町の一部におよんでいます。なお、甲斐国志によると、大永・天文頃の棟札には宮原・高室・窪中島・紙漉阿原・押越・中楯・西新居・井口。慶長の棟札には大津・堀内・極楽寺・円満寺・関口・井口の地名が見えます。いずれにせよ、広大な地域の鎮守だったんですね。宇波刀神社建立は11世紀末で新羅三郎義光、保元元年(1156)には鎌田兵衛尉正清が再建したと伝わっています。

 

<伝説の中の真実>こちらの神社にはひとつの伝説が残されています。「甲府市史別編1民俗」によると、天文十五年(1546)正月、武田氏家臣の極楽寺殿が府中の武田晴信の館に年賀の挨拶に出かける途中、現在の甲府市大里町の芝宮明神の松の木に獅子頭がかかっているのをみて、縁起がいいと晴信の元に持参しました。するとこの年は好事が多くおこったので、これに喜んだ晴信は獅子頭を宮原の宇波刀神社に奉納されたといいます。この伝説は慶長四年(1599)に宇波刀神社神主桜林氏が記した社記が元となっているとのことで、「武田氏家臣団の系譜」では、桜林氏自身の経験として記述されているので事実であったと考えられ、極楽寺氏もしくは桜林氏による、武田諸将士の士気を高めるための演出であったのではないかとも指摘しています。

 

極楽寺氏は武田氏文流。極楽寺(現中央市)に居を構えたことから極楽寺を名乗っています。明応元年(1492)七月二十二日に起こった武田信縄(信虎の父)と油川信恵(信縄の弟で信縄と信恵の父信昌の支持をうけました)の間で起こった争いで極楽寺聰三郎をはじめ、大津芸州・巨勢村式部丞らが討死し、甲府盆地南部を治めていた土豪衆は急速に力を弱めたと考えられています。が、上記伝承により、一族は滅亡せず武田氏家臣団の一員として活動しており、なおかつ武田勝頼の代には極楽寺孫助という人物が勝頼近習として見えていることから、力は弱めつつもその血筋からか、当主もしくは当時の権力者周辺にいたと考えられています。

周辺の甲斐武田氏関係地:仁勝寺・報恩寺など

参考文献:甲斐国志・甲府市史別編1民俗・武田氏家臣団の系譜/服部治則など

<2011/4/18>