甲斐武田を探検っ!!

 

熊野神社(国母) 

 

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甲府市国母の熊野神社。社記によると平安時代大同年間(806-809)建立と伝わる、山梨県内でも古い神社のひとつです。この地域は古くから釜無川(そして御勅使川)の水害に悩まされており、主なところでは治承年間(1177-1180)武田太郎信義、明応二年(1493)地頭であった武田(油川)八郎信恵、天正四年(1576)には秋山虎康が社殿などを造営・修復しています。古くから武田家と関わりがありました。ko

 

この中で個人的に特に気をひいたのは地頭であった武田信恵。甲斐武田氏当主であった武田信縄が永正四年(1507)に病死、14歳という若さで家督を継いだ武田信虎と信縄の弟の武田(油川)信恵は対立し、甲斐は内乱。しかし翌年、信虎に奇襲を受けた信恵は一族ともども討死します。しかし、生き延びた者もあったようで、後に高遠城で壮絶な戦いを演じた、信玄の子仁科盛信の母親は油川夫人ですよね。また、武田家滅亡後は仁科盛信の子は疑惑などを避けるため、母方の油川を称しています。油川は現在の甲府市・笛吹市南部にある地名ですが、この国母あたりから曽根(勝山城)・油川あたりの甲府盆地南部を勢力化においていたのでしょうか?対立した武田信縄・信虎は石和・落合など盆地北部が拠点でした。

秋山虎康は娘が有名でしょうか?娘の名は於都摩。武田家が滅亡したあと、穴山梅雪(信君)の娘として徳川家康の側室になります。その後生まれたのが、万千代丸。後の武田(松平)信吉です。秋山氏は国母の少し北方、高畑を領していたと伝わります。

屋根には当然ながら?武田菱が輝きます。

住宅地にあるので、周辺は少し道が細いかもしれませんが、わかりづらくはないと思います。駐車場が見当たらなく、隣のJA?に駐車・・・、説敷地内には明板などがありますのでゼヒ確認してみてください。なお、秋山虎康の奉納の武具・馬具などがあったようですが、水害のため現在は行方不明となっています。

 <2010/1/26>