甲斐武田を探検っ!!

 

多田淡路守満頼屋敷跡(古府中)

 

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武田神社(躑躅ヶ崎館跡)周辺には武田家臣の屋敷がありました。甲府駅北口・武田神社に設置されている「古府の図」をご覧いただけるとよくわかると思います。

多田淡路守満頼屋敷跡ですが、完全な住宅地となっており、遺構などは残っていません。ただ、説明板が建つのみです。武田神社を訪れた際に他の屋敷跡とあわせ散策はいかがでしょうか?

多田淡路守満頼は美濃(現在の岐阜県)出身といわれ、通常多田三八と言われていることが多いようです。弓矢修行のため、甲斐に入ったと伝わります。信虎・信玄に仕え、天文十六年(1547)の信濃志賀城攻めの際、援軍に来た上杉憲政軍を破るなど信濃侵攻で大いに力を発揮しました。甲陽軍鑑には「甲州御家中の武道の達人」の一人として紹介されています。

妖怪退治の伝説が伝わるなど、武勇に優れた人物であったようですが、彼の子孫など系図は史料により様々に記されているようで、はっきりしていません。みな、彼にあやかりたかったのでしょうね。

 

多田淡路守満頼

彼は永禄六年(1563)十二月、病死します。信玄の命で信濃の先達城を本拠にしており、現在城跡には多田氏菩提寺常昌寺が建ちます。

顔写真は説明板のものを使用させていただいています。

 <2009/5/11>