甲斐武田を探検っ!!

       川浦口留番所跡

 

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史跡・関係地名:川浦口留番所跡

住所:山梨県山梨市三富川浦

場所のわかりやすさ:△

駐車場:×

説明板:△

売店:×

地図:

 

関係人物:武田信虎・勝沼今井氏など

<今も昔も大事な道>戦国時代、甲州街道(現国道20号)はメインルートとはなっておらず、鎌倉街道・中道往還・河内路などが太平洋側に抜ける主な道でした。甲府盆地から笛吹川を上流にのぼり、甲斐北東の雁坂峠を越えて武蔵(現在の埼玉県)に抜ける雁坂道も物流の中心となるような道ではなかったようです。

永正十七年(1520)、武田信虎は敵対した甲斐国人栗原信友を攻めます。信友は武蔵国秩父に逃れたとされていますから、恐らく雁坂経由で武蔵へと抜けたのでしょうね。また信虎は大永四年(1524)三月雁坂峠を越え、秩父に出兵して北条氏と敵対している山内・扇谷上杉両氏を支援しています。甲陽軍艦によると、信玄の時代永禄三年(1560)勝沼を守っていた勝沼(今井)信元が謀反の疑いで誅されますが、このとき信元は雁坂峠を越えた武蔵の上杉家臣藤田氏と連絡をとっていたのだとか。

こう見ると、雁坂道を通じてかなり重要な事が起きています。信玄もこの道を重視し、番所や烽火台を設置しさらに親族(松尾氏・河窪氏)を配置し監視にあたらせるなどしています。

番所跡は山県昌景の子孫の方が営む旅館の裏手にあり、遺構などは残されていません。ひっそりとたたずんでいますので、路駐で失礼しました・・・ちょっとした説明板が建っていますので、ご覧下さい。

国道140号、雁坂トンネルで数年前にやっと埼玉県と結ばれました。トンネル距離6000m強、とにかく長く料金も・・・です。

周辺の甲斐武田氏関係地:荻原氏屋敷川浦温泉など

参考文献など:甲斐国志・武田氏年表-信虎信玄勝頼/武田氏研究会など

<2008/12/7 2011/11/19リニューアル>