甲斐武田を探検っ!! |
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土屋惣蔵片手切 |
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ks013 |
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甲州市大和町、武田勝頼のお墓のある景徳院からさらに日川沿いの道をあがっていきますと日川渓谷レジャーセンター(BBQできてかなりお気に入りです/笑)があります。その手前に土屋惣蔵片手切の石碑が建っています。道沿いにありますが、木などに隠れ見落としてしまいがちかも知れません、レジャーセンターまで行ってしまうと「×」です。それと、駐車場はありませんからご注意を!自分はレジャーセンターに止めて歩いていきました。写真の通り、若干山道。冬場は注意したほうがいいですね! 土屋惣蔵は金丸虎義の五男として弘治二年(1556)に誕生します。実兄には金丸昌直(同僚に逆恨みされ殺害されます)・土屋昌続(信玄側近として活躍)・秋山昌詮(秋山虎繁後継)・金丸定光(勝頼らを介錯したと伝えられています)がいます。 |
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さて、ここは場所的におわかりかと思いますが、武田家滅亡にまつわる史跡ですね。武田勝頼は織田・徳川軍の侵攻をうけ新府城に火をかけ、郡内岩殿城にむかいますが、小山田氏から拒否。そこで、武田家とも縁の深い栖雲寺に向かいますが、これも織田軍に先回りされて引き返します。そのとき土屋惣蔵昌恒はこの地に踏みとどまり、追っ手に一人で立ち向かいます。渓谷沿いの細い道でないような道。彼は岩影で片手は蔓につかまり、迫り来る織田勢をバッタバッタと切っては渓谷に蹴落としたんだとか。その血で川が3日間赤く染まったので、そこから「日川」という名前がついたとも言われています。 彼の墓所は南アルプス市の長盛院にあります。 |
<2007/8/3> |