甲斐武田を探検っ!!

       龍厳山海島寺

 

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史跡・関係地名:曹洞宗大泉寺末龍厳山海島寺

住所:山梨県山梨市上栗原

場所のわかりやすさ:△

駐車場:○

説明板:×

売店:×

地図:

 

関係人物:栗原信明・栗原信通など

<海島寺・開桃寺・海洞寺・海塔寺>山梨市上栗原の海島寺、かつては開桃寺・海塔寺・海洞寺とも書かれたそうです。お寺の周囲には果樹園が広がり、夏から秋にかけ桃や葡萄がしっかり楽しめるはず、個人的には「開桃寺」がそれらしくてよいのでは?などとどうでもよい思いを抱きつつ。

この辺り一帯はかつて栗原氏の本拠だったため、ゆかりの大翁寺・妙善寺などが近くにあります。海島寺ももちろん、栗原氏に関係したお寺(当時は海洞寺)。栗原氏の祖、栗原十郎武続墓印の石があると「甲斐国寺記社記」には記されていましたが、確認はできていません。また、武田信虎に反抗し敗れた、栗原伊豆守信友、その父民部少輔信遠、さらに信友の孫にあたり、武田信玄に仕え、活躍した左衛門尉昌清もこちらに葬られたともいわれます。

<松姫と海島寺>しかし、そうは言ってもこちらのお寺の名が知られているのは、なんと言っても武田信玄の娘松姫(お松御料人/後に信松尼)が関係しているということでしょう。

  

松姫は永禄四年(1561)第四次川中島合戦があった年に信玄と側室油川夫人との間に生まれています。彼女は、勝頼に嫁いだ信長養女が死去した後、武田家と織田家との更なる関係強化のため、信長嫡子信忠と七歳のときに婚約。しかし、三方原合戦などで両氏の関係は悪化、必然的に婚約は解消されます。ただ信忠を思っていたからでしょうか、松姫はその後も他からの縁談を断り続けたといいます。

時は流れ天正十年(1582)織田・徳川軍は武田領内へ侵攻を開始します。二月四日松姫は勝頼娘貞姫、小山田信茂娘香貴姫(ともに4歳)らを伴いゆかりのある北条氏を頼るため新府城を出発します。翌五日、こちらのお寺に到着、一週間ほど滞在し、塩山の向嶽寺に向かいそちらで約1ヶ月滞在。三月二十四日向嶽寺を出発し、四日後八王子に到着しています。しかし残念ながら、井彼女等の歩いた向嶽寺〜八王子までのルートは解明されていないのだとか。

ちなみに武田勝頼などが田野にて自刃したのが三月十一日。海島寺からでは笹子峠越えが北条氏領内には近いはずですが、危険と察知したのでしょうか塩山方面に向かっています。そのまま塩山を抜けて現在の青梅街道を越えていったのでしょうか?(現松姫峠は最近つけられた名称の峠だそうで、実際の松姫とはなんら関係はないそうです)

海島寺、かつては尼寺で武田氏の女性達が深く関係しているお寺だったようで、そのため、松姫はこちらのお寺に身を寄せたのでは?といわれています。

その後松姫は八王子にて髪をおろし信松尼となり信松院を創立。旧武田家臣の支えとなりました。

周辺の甲斐武田氏関係地:妙善寺大翁寺など

参考文献など:甲斐国志・武田氏家臣団の系譜/服部治則・甲斐国社記寺記など

<2012/1/22>