甲斐武田を探検っ!!

 

甲斐奈神社

 

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社記では、かつては甲斐奈山(現愛宕山)に白山権現を祀ったことに始まり、甲斐国総鎮守とされていた甲斐奈神社。

永正十六年(1519)武田信虎は、自らの館を川田から躑躅ヶ崎に移します。翌永正十七年(1520)六月、館北方で詰城としての役割を持った積翠寺丸山(要害山城)普請を皮切りに大永三年(1523)四月には館西方の湯ノ嶋ノ山城(湯村山城)、大永四年(1524)六月に同じく南方の一条小山の普請と、館の周辺の防御を固めていきます。

さらに社記によると甲斐奈神社は永正年間(1504-1521)、信虎の甲斐奈山築城のため現在位置に移されたそうです。その甲斐奈山は躑躅ヶ崎館東方にあります。確かにこの山に築城されてもおかしくはないかな?とは思うのですが、史料などには築城の件は記されていません。ちなみに東方には、石和(現笛吹市)や山梨市・甲州市などが位置しており、信虎をはじめ、父信縄・祖父信昌が本拠とした場所。比較的安心できる方向ではあったようです。事実はどうだったのでしょうかね?

 

また文禄年間(1592-1596)の甲府城築城の際には、東部の守護神として浅間大神が併祀されています。ちなみに説明板によると白山大神は「理」の神、浅間大神は「和」の神なのだそうです。

神社裏に見える山が甲斐奈山。せっかくなのでこちらの旧社もゼヒ行きたいですね!

甲斐奈神社に自動車で行くときは、駐車場は数台ですが神社裏手になります。街中になるので、一方通行にも注意した方がいいかも知れません。ちょうど七五三の時期と重なり、拝殿の周りでは千歳飴を持った幼稚園児たちがワイワイ・・・。とても平和な光景でした。「和」の神ですからね!

 <2008/11/14>