甲斐武田を探検っ!!

 

城伊庵屋敷跡

 

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yn012

 

城伊庵(じょういあん、意庵とも)、城和泉守景茂(かげもち)などとも呼ばれている人物です。越後古志郡の玉虫定茂の嫡男として大永二年(1522)に生まれ、上杉家に仕えていました。しかし、永禄初年(1560年前後)ごろ謙信の勘気に触れて父とともに浪人、やがて武田信玄に招かれ武田家に仕えます。武田家に仕えると、騎馬十騎、足軽三十人の足軽大将にまで出世(武藤喜兵衛尉/後の真田昌幸ですが彼も同じ騎馬足軽数の足軽大将でした)。鉄砲衆であり、駿河深沢城代などもつとめました。そして武田氏滅亡時にも生き延び、徳川家に仕え天正十五年(1587)に死去したそうです。

ちなみに嫡子の城和泉守昌茂は、勝頼の代、足軽大将ではありましたが、実質的に侍大将格。武田氏滅亡後、徳川家に仕え大坂の陣では軍鑑七人のうちの一人をつとめます。また伊庵の弟、玉虫定茂は武田家では鉄砲衆。のちに、松平忠輝の家老となりました。

こちらの屋敷跡ですが、ほぼ税務署の辺りということらしいです。一応、周囲を囲うように流れる東西の水路?が堀の痕跡で当時を忍ばせているそうなんですが・・・ちょっと、微妙すぎて素人にはわかりませんね〜、この周辺に水路はいくらでもありますし。

当然、説明板も「なし」です。もちろん、専用の駐車場なんてものもございません。ただ、昔この辺に「城伊庵」がいたんだなぁ・・・と思うと嬉しくなりませんか?・・・ならないかぁ・・・(笑)

 <2007/3/11>