甲斐武田を探検っ!!

 

自元寺 馬場美濃守信春墓所

 

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自元寺は元亀元年(1570)に馬場信春により建立されました。こちらのお寺は武田家四名臣(馬場信春・山県三郎兵衛尉昌景・内藤修理亮昌秀・春日弾正忠虎綱)のひとり、「馬場美濃守信春」墓所、さらには屋敷跡とも言われています。

馬場信春は永正十一年(1514)生まれと言われており、もともと「教来石氏」で武川衆でしたが、様々な働きにより信玄の命で武田家の譜代馬場氏(信虎により自害させられています)の名跡を継いでいます。最終的には百二十騎持ちの譜代家老衆筆頭にまで出世した人物です。山本勘助から築城術を学なんだという逸話も残っています。

馬場信春の最後の地は長篠(設楽原)です。撤退する武田軍の殿を務め、存分に戦い討死。その見事な戦いぶり、敵の織田徳川軍からも大きな賞賛をえたそうです。

 

自元寺の場所ですが、国道20号から少し入ったところにあります。やっぱりちょっとわかりづらかったなぁ・・・特に案内板もなかったような・・・ケド、お寺にたどり着けば馬場信春のお墓はすぐわかります。墓地内にあり、お墓に屋根ついてますから!

 

馬場美濃守信春墓

法名「信翁乾忠居士」・「乾叟自元居士」(自元寺)

<2006/8/11>

自元寺に馬場信春屋敷から移されたと伝わる門があるということなので、行ってきました!

右上の写真の門です。その脇には案内板がしっかり設置されています。門には奥方の家紋がついているとのことですが、それはすぐ下の左側の写真になります。「武田氏家臣の系譜/服部治則」によると、信春の奥方は小田切下野守(昌成?)の娘。家紋は小田切氏のものなのでしょうかね?まだまだ自分は不勉強なのでわかりません・・・

ちなみに小田切氏ですが、信濃出身。下野守は信虎に仕え、馬場信春の妹を妻にしたと伝わっています。馬場氏(もとは教来石氏)の住む武川筋という土地柄なのでしょうか、信濃系の小田切氏とは濃い縁で結ばれていることになります。下野守の子は、甲斐統治を徳川義直が行なっていた時代、甲斐四奉行の一人として活躍しています。

前回お邪魔したときは墓碑を逆光でとってしまっていたため、個人的に非常に納得できなかったんですが、今回はしっかり写真を撮ることができました!

<2008/4/7 追加>

さて、自元寺の総門の説明板に出ていた、教来石氏から馬場氏に改姓した頃住んでいた(その頃彼の屋敷の門を自元寺に移したのだとか)といわれる場所に行って見ました。

土砂降りの雨・・・

恐らく、ここであっていると思うのですが。特に何があるということもなく、ただひたすら雨が降るばかり・・・

<2008/5/13 追加>