甲斐武田を探検っ!!

 

金光寺 岩手右衛門佐信景屋敷跡

 

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武田信玄の曽祖父武田信昌の子には武田信縄、油川信恵、岩手縄美などがいました。信昌の後継を巡り武田信縄VS油川・岩手氏で争いが行なわれますが、相模北条氏などの乱入などで一時事態は収束します。その後、信縄が病死するとその子信虎に対し再び反旗を翻しますが破れ、油川信恵・岩手縄美は討死します。その縄美の孫が右衛門佐信景になります。祖父の行動は信玄の代には許されていたらしく、信景と父信盛は譜代国衆御旗奉行として名が残っています。信景は武田氏滅亡後、織田氏の命により、自害を命ぜられます。

ちなみに信盛が岩手地区の信盛院開祖です。

金光寺(きんこうじ?こんこうじ??すみません・・・・)ですが、少なくとも自分の見た地図には記載されておらず、電話帳にもなく・・・・とりあえず、行ってみるかぁ!と気軽に行ってしまいました(笑)・・・が、案の定わかりません。しかし車を走らせていると、ちょっとした地区の説明板があり、「金光寺を中心に久保地区は・・・」とありました。とりあえず久保地区の民家が集まっているところにいきますと、ありました!金光寺!!

着いて納得。これじゃわかんないやぁ・・・山門の横には消防の詰め所、防災無線、建物には金光寺と「久保地区集会所」の文字。ほぼ完全にこちらの地区の中心施設となっているようです。

山梨市史によると、金光寺は岩手信景の屋敷跡と言われており、境内北西と西に石塁跡が残るそうです。さっそく見てはみますが、確かに石積みはありますが、屋敷跡かは素人にはわかりません・・・・

境内の道側には、子孫の方が建てられた岩手右衛門佐信景と彼とともに自害した岩手氏一門の供養塔がありました。それによると、元亀年間中信景により金光寺創立、そして信景は天正十年(1582)五月に亡くなっています。

駐車場などには困りませんが、説明板などはありませんので御注意ください。

 <2006/2/4>

山梨市牧丘町杣口(そまぐち)には、岩手左衛門太郎信清開祖の「法林寺」があります。甲斐国社記・寺記によると、信清は信景の孫、信清の父は信重となっています。

岩手縄美−信盛−信景−信重−信清・・・・

信清は天和元年(1681)法林寺を建立し、天和三年(1683)11月13日に亡くなります。法名「法林寺殿浄安信清居士」、ちなみに信清夫人の法名は「安養院殿性信祖見大姉」です。

 <2007/3/20 追加>