甲斐武田を探検っ!!

 

板垣神社 伝駿河守信方墓所

 

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長野県にお邪魔してきました。何も考えず気楽に行ったんですが、上田市遠いですね(笑)中央自動車道などの有料道路を使用せず行きましたが・・・・それだと甲府付近からは3時間くらいみたほうがいいですかね。

場所ですが、マイカーナビにはしっかり「板垣信形墓(という字にはなっていましたが)」がありました!上田市に入り、板垣神社の周辺に行くと上の写真のような看板が建っていたりするのでわかりやすいかと思います。左の写真にある、赤い鳥居が目印になります。

駐車場は残念ながらありませんでした。しょうがないので、車をしっかり道の端に停めて見学です。

さて、板垣駿河守信方ですが、出身は板垣郷。現在の甲府市善光寺町付近と言われています。屋敷跡などは残されていませんが、城東通り「善光寺入口」交差点と「酒折宮入口」交差点の間に惣門台という地名があるそうです。

板垣信方は武田信虎・信玄の二代に仕えた重臣ですよね。大河ドラマですっかり知名度アップしているのではないでしょうか?信玄の父信虎を甲斐から追放する際は中心となって働き、武田信玄の信濃諏訪地方攻略後、諏訪郡代となり武田氏の信濃攻略の拠点となります。彼は甘利虎泰とともに信玄初期をよく支えたと伝えられています。

天文十七年(1548)2月、信濃豪族村上氏と武田氏は上田原において衝突します。この戦い(上田原合戦、塩田原合戦とも)で信玄は初めて敗戦を経験します。村上氏の軍略・地の利はもちろん、武田氏の準備不足(内応工作など)も原因に挙げられています。この2月14日の戦いで、武田氏は板垣信方・甘利虎泰・初鹿野伝右衛門尉などが討死、村上側も屋代原吾・雨宮刑部などの討死など互いに大きな損害をだしています。

こちらの周辺には上田原合戦石碑や村上氏側の武将墓所などが残されています。また、千曲川を越えると真田氏で有名な上田城もあったりと時間をとればかなり楽しめる場所だと思いますよ!

 

伝板垣駿河守信方墓

村上氏と戦い(上田原合戦)、討死した板垣信方のお墓と伝えられてます。法名は「無一脱心大天居士」「宗薫禅門」。

彼はタバコを好んだんだとか。ちなみにタバコは天文十二年(1543)ポルトガル船が種子島に漂着した以降の伝来と言われています。ほぼ鉄砲と同時期の伝来ですよね!

 <2007/3/26>