甲斐武田を探検っ!!

       石和八幡宮

 

 史跡一覧へ

 人物一覧へ

 トップへはこちら→

ff001

史跡・関係地名:石和八幡宮

住所:山梨県笛吹市石和町市部

場所のわかりやすさ:◎

駐車場:○

説明板:○

売店:○

地図:

関係人物:武田信虎など

<石和八幡と武田氏>石和八幡宮は、建久三年(1192)石和五郎信光が相模の鶴岡八幡宮を勧請した社が始まりだそうです。武田信義四男である石和五郎信光は頼朝に気にいられ武田宗家を継ぎます。他の兄弟は源頼朝に信頼されず排除されていきます・・・。石和信光は武田信光と名乗り、石和(現石和郵便局周辺かといわれています)に居を構えます。

その後、永正十六年(1519)武田信玄の父信虎が躑躅ヶ崎に館を移すまで石和八幡宮は武田家の絶大な保護を受けました。現在躑躅ヶ崎館跡近くにある府中八幡宮は、信虎により館を移すと同じ時期に石和から甲斐府中に移されたものです。

さらに時はくだり、武田氏滅亡の天正十年(1582)、石和八幡宮は甲斐国内の他の寺社同様、織田軍により火をかけられてしまいましたが、後に徳川家康の政策により再建されます。その後豊臣家、さらには江戸幕府より保護をうけた石和八幡宮には、甲斐歴代国主や甲府勤番は毎年必ず参拝していたそうです。

<悲しい事件その後>石和八幡宮の拝殿や本殿は江戸中期に建てられたもので、笛吹市石和町内では最古の建造物でした。しかし、石和八幡宮は2006年10月30日AM1:10頃出火し拝殿や本殿など全焼。不審火とみられています。悲しいですね・・・。ニュースを見ていてもたってもいられず、現地へ行きました。ソレが下の狛犬がうつる写真。

 

狛犬もすすかぶり黒くなっていました・・・。なお、随神門は拝殿などから離れており、さらに市の文化財で徳川時代に奉納されたとされている絵馬はたまたま神社外に出されており無事だったそうです。現在では再建されており新しい社殿が建っています。

毎年四月には近くの笛吹川河川敷で「笛吹市桃の花祭り 川中島合戦戦国絵巻」が行われます。武田軍は石和北小学校で軍備を整えて石和の街を歩いて行くのですが、その際石和八幡の前を通るので合戦に参加された方で気づいた方も多いはず。せっかくなので戦勝祈願・戦勝報告をやられたらいかがでしょう?ちなみに私が働いた隊では戦勝報告を行いました(笑)。

 

<石和の街>神社の南東側の地区は「春日虎綱(高坂弾正忠昌信)出生地」と古くから伝わる場所があります。遺構などはないのですが、様々な思いをめぐらせ散策しても楽しいかもしれません。

<例大祭>2007年4月1日のことになりますが、笛吹川河川敷で石和八幡宮例大祭、甲斐駒流流鏑馬が行なわれましたので観に行きました。前年も行なっていましたので恐らく毎年行なわれていると思います。流鏑馬、なかなか見る機会がないものですから貴重な経験ですよね。自動車は笛吹市役場に停めました。

  

甲斐は古くより馬の産地であり、また鎌倉時代の甲斐源氏は、鎌倉武士などに武術・作法などを伝えたとされています。小笠原流と言われる流儀を伝える小笠原氏も甲斐源氏です。  

周辺の甲斐武田氏関係地:武田氏館(川田館)八田家御朱印屋敷・笛吹川(川中島合戦絵巻が行われます)など

参考文献:武田信虎のすべて・石和町誌・新編武田信玄のすべて他

<2006/11/3 2010/4/25リニューアル 2011/4/11更新>