甲斐武田を探検っ!!

 

八幡神社と飯田河原合戦供養板碑

 

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甲府盆地北部を東西に走る通り、通称「山の手通り」を甲府市から甲斐市(旧敷島町)に抜け、少し進むと右手に八幡神社があります。駐車場らしきものはありませんが、神社裏手に地域のゴミ収集場があり、そこに一台程度ですが停める事ができます。

さて、拝殿に向かって左手に大木がありますが、その根元に「飯田河原合戦供養板碑」があります。解説版もありますので、わかりやすいと思います。こちらの板碑は「甲斐国志」によると、飯田河原合戦・上条河原合戦での戦没者七回忌の為に、武田信虎が建てました。

飯田河原合戦は、大永元年(1521)甲斐国内の乱れに乗じ侵攻してきた、遠江土方城(現静岡県大東町)を拠点として、今川家当主氏親に嫌われ駿東郡に蟄居していた福島兵庫頭正成(約15000人/駿河と遠江の国人衆を巧みに誘ってこれだけの人数をそろえたとか)と武田信虎(約2000人/大井氏や逸見今井氏がいまだに従っていません)による戦いです。兵力的には劣勢にたたされた武田勢ですが、地の利や軍略などをもって勝利をおさめました。この戦いが甲斐国内外に伝わり、今まで敵対していた国人衆などは徐々に従うようになった、と言われます。

自分の想像が甘かったんだと思いますが意外と大きく、高さが約1辰△蠅泙后9錣泙譴進源は磨耗が激しく解読が難しくなっていますが、長い年月を経てこうやって残っていること自体(住宅地で幹線道路沿いですし)すばらしいと思い感動しました。

 <2006/11/3 2009/11/26修正>

板碑のある八幡神社ですが、こちらもナカナカ甲斐武田にふさわしい神社。敷島町誌をのぞいてみると、祭神は本殿宇佐八幡宮には宇佐八幡大神・誉田別命(応神天皇)・玉依姫命・神功皇后、相殿若宮八幡宮には若宮八幡大神・仁徳天皇・武内宿弥・土屋昌山大人命が祀られています。創建年代は不明(約1200年前?)ですが、山梨県内でも古い神社のひとつに数えられています。。祭神の「土屋昌山大人命」は土屋氏の祖であり、甲斐武田氏とその家臣土屋氏が代々崇敬しています。

島上条は代々土屋氏が領していた地域です。弘治二年(1556)土屋右衛門尉昌続が再興したことから、「土屋神社」とも呼ばれました。その土屋氏の屋敷が八幡神社の北方にありましたが、現在は遺構もなくわからなくなっています。

土屋昌続は、金丸虎義の次男。信玄の近習で、甲陽軍鑑によると川中島合戦での本陣を守りぬくという活躍が認められ、甲斐国内の名族、土屋家を継ぐよう命じられます。また義信事件後の家臣団に提出させた起請文(下之郷起請文もしくは生島足島神社起請文)の取りまとめ奉行を務めるなどして、武田家の内政を取り仕切るようにもなります。信玄に好かれた文武両道の土屋昌続でした。

 <2009/11/26>