甲斐武田を探検っ!!

       大渡の烽火台

 

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ht049

史跡・関係地名:大渡の烽火台

住所:山梨県北杜市須玉町江草

場所のわかりやすさ:△

駐車場:△

説明板:×

売店:×

地図:

 

関係人物:武田氏・小尾氏など

<高速連絡網の一部>甲斐武田氏は烽火台を甲斐国内に設け、情報伝達に使用したと伝わりますが、塩川沿いの須玉町江草地区と比志地区の中間、鳥井峠西にある大渡の烽火台(おおわたりののろしだい)もその一つ。信濃に抜ける小尾街道沿いに設けられていた烽火台です。

早速、登城を試みますが、江草側(甲府盆地側)からは峠まで道があるか不明でしたので峠の下を通る、真新しい県道のトンネル(鳥井坂トンネル)を抜け、比志側から旧道に入り通行止め場所で自動車を停めました。そこから峠にむかい歩いていき5分ほどでしょうか、鳥井峠(左下写真)に到着。右下写真の通り、ざっくりと山が削られた大胆な峠です。

 

 

<確かに烽火台として?>この峠からいよいよ山に入ります。峠の右手に入るのですが、ここには歩道もしく登山道のようなものはあるのでしょうか?尾根沿いを進みましたが、人が適度に踏んだという気配はありませんでした。冬期に行ったのでまだ登れましたが、夏季などはどうなってしまうのでしょうか。

 

 

とにかく山頂目指して歩いていくと、数段の腰曲輪が確認できます。竪堀などは確認できず。

 

 

ゆっくり慎重に、適度に休憩とりつつ30分程度でしょうか、ようやく山頂の主郭部に到着。秋葉神社と石尊神社の石祠が迎えてくれました。主郭中央部には、朽ち果てた「大渡の烽火台」の案内が、無残な姿で転がっています。石祠後方には人為的に見える土塁らしきものが確認できます。

 

主郭から北方には比志の城山が、南方には獅子吼城が確認できます。ともに戦国期には烽火台と機能していたと伝わる場所です。

須玉町誌によると戦国時代末期、峠を越えようとする敵(ここですと北方からの信濃勢)を抑えるには、通常峠道の両側に郭を配置するのだそうですが、この地にはそれは見られません。防御としてより、やはり烽火台としての機能がメインであって、恐らく16世紀前半のものではなかろうかとのことです。また、この近隣地域に居を構えていた小尾衆が警護にあたっていたのでは?と考察しています。

周辺の甲斐武田氏関係地:比志神社・比志の城山・十五所神社など

参考文献など:甲斐国志・須玉町史など

<2012/1/16>