甲斐武田を探検っ!!

       陽谷山正覚寺

 

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史跡・関係地名:曹洞宗興因寺末陽谷山正覚寺

住所:山梨県北杜市須玉町若神子

場所のわかりやすさ:○

駐車場:○

説明板:△

売店:×

地図:

関係人物:新羅三郎義光・逸見冠者義清など

国道141号沿いにある正覚寺。国道のすぐ横に見え極めて便がよいのですが、かつての参道は味噌なめ地蔵があった場所から。古きを訪ねるならばゼヒ味噌なめ地蔵からですね。

正覚寺は甲斐源氏と深い関わりをもつお寺で、かつては新羅三郎義光の館があったとされている場所でもあるといいます。義光の子、逸見冠者刑部三郎義清は大治二年(1127)熱那荘(現北杜市高根町)に義光供養のため天台宗の寺院を建立しますが、永享二年(1430)この地にうつし曹洞宗としたといいます。

 

 

本堂裏には新羅三郎義光と逸見冠者刑部三郎義清の供養塔がありました。義光法名は「先光院殿峻徳尊了大居士」、義清法名は「正覚寺殿陽山清公大居士」。

新羅三郎義光の長男は逸見義清ですが、同年同日に生まれた弟信義は、武田を称します。しかし、甲斐源氏嫡流である逸見氏以上に栄えたのが武田氏。さらに武田信義の子有義も逸見氏を称します。嫡流として長年積もるものがあったのでしょうか、武田信満が天目山で自害した応永二十四年(1417)辺りから、恐らく有義系であろうといわれる逸見有直という人物が勢力を伸ばし、武田氏と抗争を繰り返しますが没落。さらに江草に入部した武田信満の子今井信景子孫の信是・子信元は逸見氏を称し武田信虎に抵抗します。逸見氏=アンチ武田というイメージが中世にあったのでしょうか?そして甲斐源氏の嫡流は逸見であるとのプライドをもって、武田氏に挑んでいったのでしょうか。とにかく武田氏さらには甲斐源氏の歴史を考える上で、避けては通れない逸見氏でした。

周辺の甲斐武田氏関係地:若神子城跡味噌なめ地蔵平賀源心墓所など

参考文献など:甲斐国志など

<2012/01/08>