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       馬場美濃守信春墓所

 

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 「馬場美濃守信春墓所」はきち様の情報により行ってきました!きち様、貴重な情報ありがとうございます!!

史跡・関係地名:馬場美濃守信春墓所

住所:山梨県北杜市高根町東井出

場所のわかりやすさ:△

駐車場:△

説明板:×

売店:×

地図:

 

関係人物:馬場美濃守信春など

<共同墓地に眠る美濃守>馬場美濃守信春といえば不死身の美濃として武田家臣団のなかでも有名な人物の一人。信玄の元で頭角をあらわし、信玄亡き後は勝頼に仕え、山県昌景らとともに甲斐武田を支えた重臣で、設楽ヶ原(長篠)の戦いで殿を務め討死し、その活躍は織田・徳川軍からも賞賛された人物です。その馬場美濃守信春の山梨県内の墓所といえば、彼の出身地である北杜市白州町の自元寺、武田信玄から家臣団までの墓所がある甲州市の恵林寺が有名ですが、全く知られていないといわれる墓所もあるのです。今回それを紹介。

 

北杜市高根町の共同墓地。見通しは悪くない場所にあるのでわかりにくくはないはずです。駐車場らしい駐車場はないのですが周囲に停めても問題ない感じです。こちらの墓地には、新しい墓石も目立ちますが、その中の一角に馬場信春墓所があります。

 

 

墓所内、左写真の石仏には、天正三年五月二十一日秀體院殿傑山常雄大居士と刻まれていたようですが、現在では判別困難。右写真の石塔正面には「大先祖」と刻まれ、こちらの家の由緒書によると、この石塔が馬場信春のお墓となります。この墓所は馬場美濃守信春子孫と伝わる家のもの。供養塔として建てられたものでしょうね。

こちらの墓所に伝わる馬場信春法名は「秀體院殿傑山常雄大居士」ですが、この法名は恵林寺に伝わる法名と同じです。ちなみに自元寺に伝わる法名は「乾叟自元居士」。このほか、設楽ヶ原の医王寺に伝わる法名など、多くの法名が伝えられているようです。

 

右写真は、チョット失礼ですが上から・・・(意味ないです、申し訳ありません)。

<馬場美濃守の由緒>「甲州の名将馬場美濃守信房公とその子孫」に記載される、信春墓所の伝わる家の由緒書によると、こちらの家は信春の曾孫から帰農して現在に至っているのだそうです。かつては馬場姓でしたが、現在は馬場を名乗ってはおりません。ちなみにその由緒書では、武田信虎に直訴した馬場伊豆守虎貞が殺されてしまい、その名跡を継ぐため常葉次郎が馬場を称し馬場美濃守信房となったとあります。信房の跡は穴山氏に仕え常葉山東前院を開基したという五郎左衛門信輝、そして武田勝千代(梅雪嫡男)に従った八左衛門信治と続いています。武川の馬場氏(教来石氏)と、穴山氏に仕えた馬場氏(武田家滅亡後、穴山梅雪の供をして安土城・堺に行き、本能寺の変に巻き込まれ梅雪とともに死去した馬場丹波守の家系)と混同されてる感がありますね、しかし少なくともどちらかの家系ではあるということなのでしょうか?

まだまだ一部しか解明されていない武田家臣団です。

周辺の甲斐武田氏関係地:光村寺昌照寺など

参考文献など:甲斐国志・甲州の名将馬場美濃守信房公とその子孫/愛知県鳳来町立長篠城址史跡保存館・穴山武田氏/平山優など

<2011/9/11>