甲斐武田を探検っ!!

       金谷山養泉院

 

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史跡・関係地名:金谷山養泉院/清水氏墓所

住所:山梨県北杜市須玉町下津金

場所のわかりやすさ:△

駐車場:△(周囲には駐車場所多いです)

説明板:△

売店:×

地図:

 

関係人物:清水縫殿助など

<曹洞宗金谷山養泉院>元亀二年、清水縫殿助により開基されたと寺記に伝わる下津金地区の養泉院。津金という地名が示すとおり、近くには津金衆の本拠があります。

 

 

<国境警備の衆>津金衆は津金地域などに居する土豪らで構成され、武田信玄・勝頼期、甲斐と信濃国境警備を主に行なっていたとされています。彼等が特に活躍し文書などで名が現れてくるのは武田家滅亡後の徳川・北条の旧武田領の奪い合い、通称天正壬午の乱。津金衆は武川衆とともに徳川方として働き、北条方の獅子吼城などを攻略したりします。なお、清水縫殿助の家系はこの地域の地頭であったと思われていますが、津金衆一員に清水氏が見られ、土地柄などから清水縫殿助も津金衆一員であったと思われています(甲斐近世史の研究)。

 

<清水縫殿助>本堂横の清水家墓地には、真新しい清水縫殿助墓が建ちます(左写真)。墓碑には清水縫殿助光胤と記されていますが、「胤」という文字は津金氏で多く名乗られています。津金衆は血縁関係などを結び、濃い関係であったので清水縫殿助光胤の「胤」にもなにか繋がりを感じさせますね。墓碑によると、清水縫殿助は信玄・勝頼に仕え、天正三年(1575)四月十五日死去となっています。法名は養泉院殿天室常最居士。妻は馬場美濃守信春娘とも記されますが、どうでしょう・・・

右の写真は特に意味ないです。なんとなく気になったので・・・

周辺の甲斐武田氏関係地:東泉院古宮城址など

参考文献など:甲斐国志・甲斐近世史の研究/磯貝正義井上直共編・須玉町誌など

<2011/9/1>