甲斐武田を探検っ!!

       味噌なめ地蔵

 

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史跡・関係地名:味噌なめ地蔵

住所:山梨県北杜市須玉町若神子

場所のわかりやすさ:○

駐車場:○(正覚寺駐車場に)

説明板:○

売店:×

地図:

 

関係人物:武田信玄・平賀源心など

<信玄の信濃佐久地方攻略で・・・>信玄公伝説の残るお地蔵様。説明板によると、天文五年(1536)信濃攻略の帰り、大門峠にあった地蔵菩薩像を縄でくくり、曳いて帰ってきましたが、この正覚寺前で突然ビクともしなくなりました。しようがなく、この地に安置されるようになったのだとか(「山梨県の武田氏伝説」では年代不明で川中島にあったものだといいます)。ちなみに、明確な史実ですと、天文五年は武田晴信(後の信玄)が元服した年。甲斐国外に目を向けると、駿河今川氏当主氏輝が急死。後継者を座をめぐり内乱が勃発しています(花蔵の乱)。ここで、勝利を収めるのが後の今川義元。武田信虎は義元側を支持して内乱に介入。これ以降、武田・今川・北条がそれぞれの利権をめぐり強烈に互いを意識し始める時期に突入していきますね。

さて、地蔵尊は若神子宿を通る佐久往還沿いにあります。正覚寺の参道沿いですが、現在はお地蔵様と正覚寺の間に国道141号が走っています。国道を利用されたことのある方は須玉インター近くの正覚寺は目にしたことがあるのでは・・・?

  

このお地蔵さん、自身の悪い場所と同じ場所に味噌を塗ると完治するという言い伝えがあります。見ると、体中にべったりと味噌が塗られ、周囲には味噌の香りが漂います・・・。写真をアップで撮りましたが、正直チョット近寄りがたい雰囲気。かなりの味噌が塗られており、それだけ信仰の対象になっているということなのでしょうか。ちなみに背中には信濃から曳いて来た際の「縄」の後が残ります。

<平賀源心>説明板にはもう一つ伝説?言い伝え?が紹介されています。それによると、このお地蔵様は信濃海ノ口城主平賀源心の供養の為に建てられたというものです。同じ若神子地区内には平賀源心の墓所もあります。平賀源心は武田信玄初陣の際戦った人物として有名。彼は剛の者として周辺に知られていた人物でしたが、機転をきかした信玄により敗れます。しかし信玄父、信虎はそのような信玄を褒めてはくれませんでした。これにより信玄と信虎はより一層溝を深めていき・・・。というのが、甲陽軍艦などで伝わるお話。しかし海ノ口攻めはその「甲陽軍艦」でしか確認できないもので、他の当時を知ることのできる文書などには出てきません。つまり、史実ではないのではといわれ、また平賀源心自身の実在も疑われています。

 

「味噌なめ地蔵」なぜか、個人的に幼い頃に行った事を覚えています、小学校の遠足か何かでしょうか・・・。「地蔵」「味噌」「信玄」このキーワードと漠然としたお地蔵様のイメージが、かなり前から頭に残されています。インパクトがあったのでしょうか、信玄公伝説。

周辺の甲斐武田氏関係地:正覚寺・平賀源心墓所若神子城跡など

参考文献など:甲陽軍艦・武田氏年表信虎信玄勝頼/武田氏研究会・山梨県の竹足伝説/笹本正治など

<2011/8/15>