甲斐武田を探検っ!!

       東向山見明寺

 

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史跡・関係地名:曹洞宗東向山見明寺

住所:山梨県北杜市須玉町穴平

場所のわかりやすさ:○

駐車場:△

説明板:△

売店:×

地図:

関係人物:津金修理亮胤久など

 

<津金胤久と見明寺>若神子にある正覚寺末、曹洞宗東向山見明寺。寺記によると天正元年(1573)創建で、原隼人覚えの衆、津金美濃守胤時の子津金修理亮胤久が妻の姉妹玉林尼を供養するため開基、自らの逆修(生前供養)のため位牌も伝わっているそうです。見明寺に残る胤久の法名は「陽州院津厳全居士」。開山は正覚寺第四世智休英鑑和尚。なお元禄十二年と明治二十二年火災にあい、本堂他は数度焼失しています。開基である津金胤久は津金衆の一員で、武田家滅亡後徳川家に起請文を提出し、後に徳川義直に仕えます。慶長十四年には武蔵に移住したと寺記は伝えています。

 

<佐竹から津金へ>津金家譜によると津金氏は元々佐竹氏を名乗り、常陸国に居たのだそうです。文明年間、佐竹胤義は長子胤重とともに甲斐に入り武田信昌に仕え古宮城を築城、地名より津金氏を名乗ります。後に周辺の一族・土豪らを束ね津金衆を形成し主に信濃国境の警備などにあたります。津金氏が歴史舞台に出てくる時期は武田信虎の時の逸見今井氏の動向(存亡)とかみ合うような状況ですので、少なからず影響はしていると指摘されています。とても深みのある話で興味をひきます!

武田家滅亡後の天正壬午の乱では津金衆は地の利を活かし徳川方の案内をし北条軍の獅子吼城などを陥落、北条方の補給路を遮断し、徳川軍に貢献しています。

 

境内には子孫の方が寄進したものが多くあります。下の写真は御子孫の方が寄進した十三重石宝塔です。

寺院裏は国道411号。韮崎〜長野県佐久地方へと向かう道ですが、国道自体は高所を走っているため、国道からもお寺からも気づくことはないはず。お寺の回りはのんびりと時間がすぎています。

周辺の甲斐武田氏関係地:若神子城跡平賀源心墓所など

参考文献:甲陽軍艦・甲斐国志・津金衆の軌跡など

<2011/2/12>