甲斐武田を探検っ!!

       柳澤氏(弥太郎)屋敷跡

 

 史跡一覧へ

 人物一覧へ

 トップへはこちら→

ht037

史跡・関係地名:柳澤氏(弥太郎)屋敷跡・柳澤氏発祥之地

住所:山梨県北杜市武川町柳沢

場所のわかりやすさ:○

駐車場:△

説明板:○

売店:×

地図:

関係人物:柳澤信俊など

<柳澤氏屋敷跡>江戸時代の柳澤吉保で有名な柳澤氏ですが、元は武田家臣の武川衆。現北杜市武川町柳沢に居を構えていたと伝わります。その柳沢氏の屋敷跡ですが、甲府方面からですと国道20号牧原交差点を左に曲がり、道なりに進みます。柳沢地区に入ると間もなく左手に解説版。道端に建っているので、わかりやすいと思います。

さて、武川衆とはこのあたりに居を構えた武士団で、鎌倉時代にはすでにその基礎があったようです。実力がつき表舞台にでてくるのは室町時代初期で、「一蓮寺過去帳」によると永享五年(1433)武田信長と反武田勢力の守護代跡部氏・逸見氏らにより甲斐府中荒川で合戦が行なわれますが武川衆は武田氏に組して戦いました。戦死したものの中に青木・山寺・柳沢・牧原などの武川衆が登場しています。武川衆を構成していたのは、青木山高・山寺・折井・教来石・宮脇・横手・曲淵米倉・柳沢・知見寺・・・などで、特に教来石氏はのちの馬場美濃守信春が出ています。

現地には解説板があり、しっかり説明されているので勉強になりますね。屋敷跡ですが、中世以降幾度となく襲い掛かった水害などで流されてしまっているようで、なにか遺構があるわけではなく、地域の人々の間で「弥太郎屋敷」として言い伝えられてきた地です。甲斐国志にも「柳沢氏宅址 中原ト伝フ処ニアリ」としか記されていません。

柳澤弥太郎屋敷の「弥太郎」とは、柳沢弥太郎貞興であると思われています。彼は信虎に仕え武田家を支えたと伝わります。また、「寛政重修諸家譜」では貞興の父弥十郎信興が柳沢氏の祖となっています。信興は元々同じ武川に居を構えた青木安遠の二男。養子として柳沢氏に入ったようです。ですので、信興以前に柳沢氏は存在していたということですね。なお、その後は信興-貞興-信房-信兼-信俊・・・と続きます。その中で信兼は軍法違反により勝頼の命で自刃し、彼の子信久も本能寺の変に巻き込まれ穴山信君とともに山城で討死。その時期に武川衆の横手氏からの養子信俊が柳沢氏を名乗り家康に仕えます。

 

  

<柳澤氏発祥之地>平成二十二年(2010)十一月二日、柳澤氏屋敷跡に柳澤区・柳澤史跡保存会・北杜市商工会武川支部・北杜市観光協会武川支部により「柳澤氏発祥之地」の石碑が建立されました。全国の柳澤さん、羨ましいです!

周辺の甲斐武田氏関係地:横手氏屋敷跡柳澤寺跡中山砦など

参考文献:甲斐国志・日本城郭全集〈第5〉静岡・山梨・長野編・戦国遺文 (武田氏編第2巻)など

<2009/11/6 2010/11/30リニューアル>