甲斐武田を探検っ!!

 

宝林寺 笠原新三郎清繁夫人墓所

 

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天文十六年(1547)武田信玄は、信濃国(現長野県)北佐久地方を攻略する過程で、笠原新三郎清繁の志賀城(佐久市志賀)に迫ります。その際、笠原氏に上野国(現群馬県)上杉憲政が援軍を差し向けますが、兵力の差もあり武田軍の圧勝。討ち取った敵兵の首を志賀城に向けてさらし、更に城を出て戦った敵兵をことごとく討ち取ってしまい、城主の笠原清繁は自害します。そのとき残された女・子供は捕われ、甲府で売られてしまいますが、美しさと賢さで武田軍の中でも噂になっていた清繁夫人(当時21歳)は、小山田出羽守信有(左兵衛尉信茂の父)が「褒美」として譲り受け、妾とします。

その後、夫人は天正六年(1578)に52歳でなくなります。当時の郡内小山田氏当主信茂は、こちらのお寺に手厚く葬ったそうです。

と、いうのがこちらのお寺に伝わるお話です。説明板が建っています!

駐車スペースはバッチリなんですが、行くまでに多少道が細いかなぁ・・・少なくとも自分の車のナビには道がなく、何もない地図の真ん中にあるゴール(宝林寺)を頑張って目指しました。

  

 

 

笠原新三郎清繁夫人墓

説明板には「五輪塔ノ由来」と記されているんで、右のほうですよね?ただ、さりげなく近くに左の写真のものもたたずんでたりします。

華やかな面が強調される武田信玄ですが、歴史の悲しい裏側も・・・

 <2007/2/21>