甲斐武田を探検っ!!

       中央山本妙寺 曲淵正左衛門吉景屋敷跡

 

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史跡・関係地名:中央山本時妙寺・曲淵正左衛門吉景屋敷跡/馬印旗/願文など

住所:山梨県中巨摩郡昭和町押越

場所のわかりやすさ:○

駐車場:×

説明板:○

売店:×

地図:

関係人物:曲淵吉景・曲淵景衡など

<曲淵氏ゆかりの地>日蓮宗中央山本妙寺、押原小学校横にあります。このあたりの小字は曲淵。かつて曲淵氏はこの周辺に屋敷を構えていたのだとか。吉景はこの地で出生したと伝わっています。その後武川筋に移り、武川衆の一員として天正十年(1582)徳川家康に忠誠を誓った天正壬午甲信諸士起請文に名が残ります。天正十年に徳川氏から餐場修理あてに曲淵の地を本領安堵されていますので、少なくともそれまでには現北杜市の清泰寺近くに居を移していったと思われています。このあたりは中世は釜無川・御勅使川の洪水が頻繁に起きていたところで、かつ流路でもあり、さらには近年宅地化商業地化している場所でもあるので、遺構等を求めることは厳しくなっています。

本妙寺は、天正十年に北山本門寺(静岡県富士宮市)十世の日殿上人が開基となり仏堂が建立されています。その後寛永二年(1625)曲淵吉景法名「徳本院殿日起大居士(清泰寺では広略院良屋玄帳居士)」と吉景母法名「妙徳院殿日盛大禅尼」からとられ、「本妙寺」と名づけられ寺院となったと伝わります。

  

甲斐国志には「本村本妙寺ニ古碑三四基存セリ享保中曲淵下野守本州勤番支配タリシ時此ニ詣シテ・・・」とあります・・・が、古碑は確認できませんでした。歴代住職墓所の裏には気になる石塔の一部はありましたが。また、本妙寺寺宝として、徳川家宣に仕えた5代目の景衡が甲府勤番中の享保十一年(1726)、吉景命日に本妙寺・八幡宮に詣でた際寄進した馬印旗があります。旗には茶色く変色した部分もあることから「血染めの旗」とも呼ばれます。

  

同じ敷地にある若宮八幡宮、曲淵景衡が詣でているのは前述の通り。この八幡宮の鳥居の裏側をみると、地名「字曲り渕」がありました。実際に目で「曲淵」を確かめることができるのはこのくらいでしょうか?

<曲淵の主と娘>昭和町にはある民話が伝わります。

かつてこの地域に「曲淵」という深い淵がありました。その不気味な雰囲気からいつからか竜人が住むと噂されていました。この淵の西に老夫婦と器量人と言われた一人娘が住んでいました。ある晩、娘が針仕事をしていると戸を叩く音が。娘は戸を開けるとそこには色白の美青年が立っていました。青年は一晩泊めて欲しいといい、娘は承知します。その晩青年と娘は夜通し話しあいまいした。しかし、夜明け前少年は出立すると言い出したので、また会いたくなった娘は少年の家を知りたくなり、密かに青年の袂に糸のついた針を忍ばせました。朝が来て、娘は糸をたどって行きました。すると行き着いた先は曲淵。よく見ると糸の先には大蛇の巨体が浮かんでいました。その事件後、娘の腹はみるみる膨らんでいき、やがて男の子を産みました。子供は非常に賢くなり、成長してからは「曲淵庄左衛門」と名乗り、武田家に仕え数々の手柄をあげた、ということです。

竜の子、曲淵正(庄)左衛門吉景のお話しでした。

周辺の甲斐武田氏関係地:信玄堤など

参考文献:甲斐国志・日蓮衆蓮華山正法寺HP・昭和町HP(広報しょうわ2000年4月)など

<2006/8/11 2010/12/6リニューアル>