甲斐武田を探検っ!!

       日向氏屋敷

 

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史跡・関係地名:日向氏屋敷・日向大和守祠

住所:山梨県北杜市高根町村山北割

場所のわかりやすさ:×

駐車場:×

説明板:×

売店:×

地図:

 

関係人物:日向大和守是吉・日向大和守虎頭など

<土豪日向氏屋敷は・・・>北杜市は清里・白州などの名前が有名なように甲府付近と違い、まだまだ緑が豊富な地域。中世の史跡なども多く残されています。さらに武田家信濃侵攻の拠点などにもなっていますので、伝承なども多く残ります。

  

現北杜市高根町に居を置いた日向氏の屋敷は同氏菩提寺で大和守墓所のある光村寺の近く南西方向になります。屋敷跡と伝わる集落内には日向大和守を祀る祠があります。この祠が是吉か虎頭か、それとも他の人物かは不明です。

 

左上は日向氏屋敷付近からの光村寺の林、右上は光村寺から屋敷跡をみた写真です。

 

日向氏屋敷ですが、明確な遺構は残されていません。土塁跡と伝わる竹林が、集落の真ん中を東西に走っています。左上写真は南西方向から屋敷跡を撮影、周囲に比べ微高地になっているようです。右上は北東からの写真で、中央の木々が土塁跡となります。

<日向氏の話>さて、武田家に仕えた日向氏ですが、信虎・信玄・勝頼期には大和守是吉・大和守虎頭(虎顕)などが侍大将として大いに活躍。特に是吉は、武田家臣では板垣・荻原・甘利・飯富・原・室住・小宮山氏に並ぶ侍大将であったと言われていたとか。また信濃村上氏との抗争時、馬場信春とともに深志城を守るなど信玄の信任も厚かった人物です。天文十九年(1550)通称戸石崩れで是吉が討死すると虎頭が跡を継ぎ、弘治三年(1557)には長坂虎房とともに北信濃に侵攻しようとし、第三次川中島合戦の重要な役回りを演じていたり、天正三年(1575)には信濃大島城に在番するよう派遣されるなどしています。天正十年(1582)大島城にいた武田逍遥軒信綱は織田軍の侵攻に独断で退却。虎頭は城で討死しようと決しますが、彼の身を案じた家臣が騙して城外に連れ出すことに成功。しかし、虎頭はその行為に怒り、所領村山で息子・妻らとともに自刃してしまった・・・という話が伝わっています。

周辺の甲斐武田氏関係地:光村寺など

参考文献:甲斐国志・武田氏研究25号「日向大和守の系譜」/秋山敬・図説山城探訪第15集/宮坂武男他

<2009/1/17 2012/4/30リニューアル>