甲斐武田を探検っ!!

 

 攀桂寺 跡部伊賀守信秋墓所

 

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跡部伊賀守信秋(攀桂斎・祖慶)は、あまりきいたことがない・・・という方も多いのでは?こちらは有名、跡部大炊助(尾張守)勝資(長坂釣閑とともに武田家を滅亡に導いた・・・などと言われたりしていますが)の父親です。子勝資は山縣昌景と同じ3百騎という大きな兵力を持っていましたが、これは謀反の疑いで勝沼氏が成敗され、その勝沼氏が持っていた二百騎をつけられたものなんだとか。

跡部伊賀守信秋は信虎・信玄に仕え、現攀桂寺周辺の九ヶ村(山宮・千塚・中村・羽黒・湯村・荒川・兼嶽・長昌寺・長塚)を領しています。兼嶽は現金竹、長昌寺は現長松寺になります。

彼は信玄の信濃侵攻時などに武田家重臣として活躍します。そして元亀元年(1570)4月に信玄の使者として上野(現群馬県)の和田氏のもとへ派遣されています。その時の文書が彼が最後に見られるものなのですが、それが縁になったのでしょうか。和田氏とは後に婚姻などで深く結ばれていきます。

攀桂寺は甲府市北部の住宅地にありますが、駐車場完備なので行きやすいはずです。伊賀守信秋のお墓は境内の歴代住職のお墓の中にあります。ここ攀桂寺は伊賀守信秋夫婦と大炊助勝資の菩提寺だそうです。

ちなみに、奉行などを務めた跡部勝忠・昌忠はまた別の家系になるそうです。

<2006/8/11>

再度攀桂寺にお邪魔してきました。

寺記によると伊賀守信秋の法名は「攀桂寺殿善宅慶公居士」、夫人は「月桂妙秋」、そして大炊助勝資は「天祐恵長居士」です。勝資は武田家と運命をともにし天正十年(1582)に死去。伊賀守信秋は2月25日に、夫人は4月11日になくなっていますが、生没年はわかっていません。夫人は姓氏もわからないのだとか。

<2008/3/13追加>