甲斐武田を探検っ!!

       如金山玉傳寺跡

 

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史跡・関係地名:如金山玉傳寺跡・小瀬氏屋敷跡・小笠原長清屋敷跡

住所:山梨県甲府市小瀬町

場所のわかりやすさ:△

駐車場:△(スポーツ公園に)

説明板:×

売店:×

地図:

 

関係人物:生一房・巨勢(小瀬)信堅・小笠原長清など

<玉傳寺>玉伝寺・玉田寺とも書き、時宗一蓮寺末。甲斐国志では武田信玄の娘(勝頼妹で七女とも・玉傳寺長老生一房)が開いた尼寺といわれています。ただ、系図などでは記されていない事が多いのですが、一蓮寺過去帳によると彼女は慶長十三年七月二十九日に武蔵横山で亡くなったと記されています。まだまだ謎の玉傳寺です。今玉傳寺は一蓮寺に合併され、現在石碑のみがその面影を伝えています。

 

場所ですが、山梨県内スポーツの新たなメッカ(一昔前のメッカは緑ヶ丘というところ)、小瀬スポーツ公園の近く。そう、ヴァンフォーレ甲府のホームスタジアム!!

なお、このあたりは低地であり、戦国時代には釜無川の流路も現在の甲府盆地西部ではなく、小瀬付近を流れていたと考えられています。そのため水害の多い場所でした。屋敷は恐らくこの地域の微高地に建てられたのでしょうね。

…私事ですが、近くに親戚が住んでいるのでよくウロウロし、「川の近く行くと河童に足さらわれるから気をつけろ!」って脅されてました(笑)。

<小瀬氏・小笠原長清屋敷跡>玉傳寺は、小笠原長清(小笠原氏始祖)・武田右馬助信長(上総武田氏始祖)・小瀬(巨勢)宮内大輔信堅(信賢・武田信満六男)の屋敷跡に建てたのだと伝わっています。しかし、案内板などはまるでありませんので、ご注意ください。

なお、地割を見ると屋敷・寺院の痕跡が残されており、調査結果では東西約50m・南北100mの方形であったと思われています。それっぽく土塁・掘跡と思われている部分を赤線で囲ってみました。

 

 

 

上から、寺院・屋敷跡北西側からの写真、北側と、そして東側です。かつて周囲は水路(掘)で囲われていました。現在も一部が残されていますが、現在は整備された五割川が斜めに横切っています。

 

県道に面した場所にも微妙に空地がありますが、こちらも屋敷跡と思われています。屋敷・寺院の入口だったと思われます。

<天津司の舞>近くの神社、天津司(てんづし)神社と諏訪神社で,春にお祭りがあります。「天津司の舞」という人形(神体)による舞が舞われるのですが、この舞は日本の人形芝居(浄瑠璃など)のルーツだとも言われているそうで国指定無形民俗文化財となっています。個人的に、小さい頃から馴染んできている祭りの笛の音色が好きです。確か県立博物館でも紹介されているはずです。4月10日に近い日曜日に行なわれるので、桜の花の下「歴史」を味わってみてはいかがでしょうか。

 

 

天津司の舞の人形たち、かつては小瀬地区の玉伝寺境内にある諏訪神社に安置されていました。しかし鎌倉時代、武田五郎信光がこの地を領し、館を建てることになったため、諏訪神社はすぐ南方の下鍛冶屋(しもかじや)地区の鈴ノ宮神社に合祀されたのだとか。そして今から約450年前、小瀬地区の氏子は移された諏訪神社の末社として天津司神社を建立したのだとか。

周辺の甲斐武田氏関係地:仁勝寺報恩寺など

参考文献など:甲斐国志・郷土山城/甲府市立山城小学校同窓会・武田氏年表-信虎信玄勝頼/武田氏研究会・山梨県史など

<2006/9/12 2011/11/7リニューアル>