甲斐武田を探検っ!!

 

五所権現(現金桜神社)

 

史跡一覧へ

人物一覧へ

トップへはこちら→

yn010

山梨市の万力地区にある、金桜神社。かつては五所権現と言われていたそうです。地区名の万力といえば「万力林」が有名です!笛吹川の氾濫を食い止めるべく造られた、といわれる万力堤。しかし、ナゼこの場所にそのような水防工事が必要だったのか・・・。甲斐の水防として万力・近津信玄堤が有名ですが、近津は石和なので、信虎の屋敷などがありますし、信虎当時の甲斐経済の中心。これを主に守るためでしょうね。信玄堤はご存知、荒れ狂う御勅使川を少しでも安定した流れにし、農作物を少しでも収穫できるように、というのが大きいようですし。と、なると万力は?この場所は信虎の祖父信昌が隠居した後居住していた場所(落合)が近くにあります。こういう事情もあったのでしょうか?・・・そんなことを考えると、あまり水防など興味ない自分でも(おっと/笑)楽しく歴史に接することができます。

 

しょっぱなから話がそれてしまいました(笑)

車西関東道路、万力IC近くの木が生い茂った丘?。ここに神社はあります。真新しくない感じ、なんともいえない懐かしさを感じてしまう・・・そんな神社です。

こちらの神社ですが、永正三年(1506)11月修造されていますが、そのときの代官を務めたのは、曾根三河守昌長。武田信縄家臣、さらには信虎の重臣として、永正十七年(1520)栗原氏攻めにおいて大将の一人を務めていたり、嫡子(後の信玄)誕生時にも蟇目役(子供が誕生した際、健康などを祈る役目ですね、大まかにいうと・・・)を務めています。曾根一族、昌長・縄長・虎長と武田当主の一字を拝領しているようですね(武田信昌・信縄・信虎)。それだけ重要な地位にいた人物ということでしょうか!

 

拝殿にはかなり真新しく、信玄公らしき人物が描かれていました・・・。

ちなみに、昌長の嫡子が縄長、そして縄長の嫡子虎長、そのあとを虎長嫡子昌世が継いでいるようです。曾根氏はイマイチ系図がはっきりしていないようですね。その曾根昌世は信玄に重用され、また武田滅亡の際にはそれ以前から織田信長と通じていた・・・とされている人物です。武田氏滅亡後は徳川氏に仕え、やがて蒲生氏に仕えています。

 

駐車場ですが、しっかりあります。神社左手から行くようにするとわかりやすいと思います。ただ、自分の見た限り説明板などはなかったような・・・。

近くには、フルーツ公園があります(ちょっとわかりづらい写真ですみません)。ココから見る夜景は絶品!一度ゼヒっ!

 <2008/4/5>