甲斐武田を探検っ!!

 

月江寺 小林尾張守墓所

 

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富士吉田市の月江寺です。参道沿いには商店街が並んでおり、かつては門前町を形成していたんだとか。こちらのお寺、街中にあるので少しわかりづらい(行きづらい)かもしれません。しかし駐車場はありますので、車でも安心です。

郡内(山梨県東部富士五湖地方)という地域ですので武田三代の時代には郡内小山田氏が領有していました。岩殿城を目指していた武田勝頼一行に、笹子峠で鉄砲を撃ちかけたという話が残る、小山田左兵衛尉信茂が有名ですね!

その小山田氏には「小山田弥三郎二百騎のうちおぼえの衆」という、武勇に秀でたな家臣がおり、そのうちの一人が小林尾張守です(上野原の加藤丹後守などもその一人です)。

墓地内の小林氏墓誌を見ると少なくとも二人が尾張守を称していたようです、尾張守頁親とその子で後継、尾張守家親。頁親は岩殿城近くにある円通寺中興開祖で永禄四年(1561)死去、家親は武田氏滅亡後の天正十二年(1584)北条氏と戦い討死しています。

活躍した年代、また当時の小山田氏当主などを考慮してみると、「小山田弥三郎二百騎のうちおぼえの衆」は尾張守家親が「アタリ」かなぁと勝手に考えてしまっているのですが。こんな妄想しながら史跡めぐりはとても楽しい!(笑)

また、こちらのお寺には信玄の時代に安蔵主という僧がいましたが、信玄に登用され還俗し活躍しています(月江安蔵主、月光安左衛門とも)。勝頼にも仕えますが、諏訪大明神のお告げで武田の衰運を知り、寺に戻ったのだとか。

天気がよければ境内から雄大な富士山が拝めるのですが(今回ちょっと雲がかかっちゃってましたが)、勝山記によると大永二年(1522)武田信虎は富士登山を行なったんだそうです。なぜか、少し信虎を身近に感じました(笑)

 

 <2007/03/25>